
すべては栗山監督[右]との出会いからスタートした
大谷翔平のメジャー5年目、プロ10年目が終わった。
もう10年……それが率直な想いだ。2012年の秋、投打ともに高い評価を受けていた花巻東の高校生はアメリカでのプレーを希望し、プロではピッチャーとして頑張りたいと公言していた。しかしファイターズはそんな大谷をドラフト1位で指名、『夢への道しるべ』と名づけられた資料をもとに、大谷を口説きにかかった。18歳の大谷が目指していた「MLBトップの実力をつけたい」「トップで長く活躍したい」「パイオニアになりたい」という夢を叶えるために、どういうルートがあるのかを数字の裏付けとともに説明し、アプローチしたのである。その際、ファイターズと大谷がもっとも重視したのが“パイオニア”というキーワードだった。
日本のドラフト1位指名が確実な高校生が直接、メジャーの球団と契約するとなれば史上初のケースだった。つまり大谷にとっての“パイオニア”は、“日本のプロを経ることなくマイナーで育った日本人がメジャーのトップ選手になる”というところにあったのだ。大谷は当時、こう話している。
「僕にはメジャーで長くやれる選手になりたい想いがあって、そのためには早くアメリカへ行って3年間、マイナーの厳しい環境の中でしっかり体をつくろうという意気込みがありました。でも、必ずしもそうじゃない。日本でやってからでもメジャーで長くプレーする選手になれると思ったんです」
そんな大谷に差し出されたファイターズの“パイオニア”が・・・
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