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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「あと一歩に挑む球児へ──自分で手繰り寄せるために」

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11月の旭川、雪国とあって快晴は期待できず、旭川東高をイチローが訪れる4、5日の2日間も予報は雨だったが当日は晴れた[写真はイメージ、冬の旭川スタルヒン球場]


 10月の末は天気予報とにらめっこの毎日だった。日本シリーズが行われる予定だった甲子園の天気ではない。気になっていたのは北海道の旭川の天気である。11月に入ると雨のマークがズラリと並んでいるのを眺めながら、「そんなに何度も奇跡は起こらないよな」「雪国の天気だもんな」と呟いていた。旭川には冬の訪れを告げる雪虫も舞っていたと聞くし、この連日の雨雪の予報は致し方ないのかなと、半ばあきらめていた。

 じつは11月4日と5日にイチローが旭川東高校を訪れることになっていた。この両日の天気予報は前後を含めてもずーっと雨で、太陽のマークは見当たらない。もし雨が降れば、野球部の練習はビニールハウスの中になる。せっかくの“イチローの野球”伝道師の来訪が、そんな状況になってしまったらあまりにもったいない。

 4年目を迎えたイチローの高校への今年の来訪が旭川東高だったのは、長年に渡って積み重ねられた“想い”に応えようとしたからだ。一昨年の大晦日、イチローのもとへ「悲願を叶えたい」という一通のメッセージが届く。これまでに10度、北海道で決勝進出を果たしながら一度も甲子園出場が叶っていない、旭川東高の佐藤俊行さん(当時は監督、現在は野球部の副部長)からだった。

 そして昨夏、旭川東高は53年ぶりに北北海道大会の決勝へ進出しながら、11度目の決勝敗退を喫する。その敗退がイチローの心を動かした。あと一歩、最後の壁を突き破るために何かしらのきっかけを残すことができたら・・・

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石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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