
初優勝を飾った1974年[写真=BBM]から半世紀。『燃えよドラゴンズ!』の時代の熱い血を再び。
ワクワクを上回るオトナのオトコのお祭り
名古屋で生まれ、一時は静岡に住んでいたものの、9歳のときに名古屋へ戻り、19歳まで名古屋で育った。野球好きの少年の目の前には、1974年から83年までの10年間、
中日ドラゴンズがずっと君臨していた。
そもそも野球に出合ったのは静岡だった。父が
巨人ファンだったこと、静岡出身の
新浦壽夫のファンになったことから、巨人が好きになった。静岡へはセ・パを問わず、いろんな球団が来て公式戦を開催していたのだが、巨人の試合はオープン戦だけ。大洋、
ロッテの主催試合が多く、小学生でもマジになれば年間に10試合くらいは観戦することができた。
しかし、名古屋はケタが違う。中日の本拠地であり、公式戦だけで年間、約60試合が行われる。その中には13試合もの巨人戦が含まれていた。巨人好きにとって、それは一大事だった。
ただ、当時のナゴヤ球場(75年までは中日球場)で・・・
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