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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「不遇の時代に生きた職人は“令和の野球界”の財産」

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南海、近鉄で18年間プレーし、通算2038安打を誇る新井宏昌だが、セとパの人気の格差を痛感してきたと言う[写真=BBM]


目にする機会が少ないパ 風向き変わった86年


 先日、かつて南海、近鉄で巧打者として活躍した新井宏昌さん(以下、敬称略)にインタビューをした。取材テーマに沿った話をここで綴るわけにはいかないが、じつは話の前後で興味深い野球のエピソードをたくさん聞かせてもらった。だから、昭和の野球好きにとって、昭和の野球人との話は堪えられない。

 たとえば、新井が南海のレギュラーとして背番号6を着けてシュアなバッティングを披露、10年も第一線でプレーしていたころのことだ。通算安打は1000本を超え、ベストナインに2度選ばれたとあっては、今ならスタープレーヤーだろう。ところが新井は苦笑いを浮かべながらこう言うのだ。

「南海は大阪のチームでしょ。でも阪神との人気差があり過ぎて、僕ら、さんざん羨ましい思いをしていたんですよ。たいして成績を挙げていない阪神の選手が、人気があるだけじゃなくて、年俸も高い。地方で公式戦があって、夜の街へ飲みに出たとしても、南海のレギュラー選手は誰も知らない、阪神の二軍の選手はみんなが知ってる、なんてことはザラですよ。しかも言うに事欠いて『阪神の二軍にいるあの人、パ・リーグに行ったらレギュラーになれるのに』なんて言われちゃうわけ(苦笑)。交流戦もないし、テレビの放送もないし、世間的にはパ・リーグを目にする機会はオールスターと日本シリーズだけ。悔しかったなぁ」

 1985年には阪神が20年ぶりの日本一となり、虎フィーバーが沸き起こった。その年の4月・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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