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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「東京六大学野球100周年 体感者にしか分からない魅力」

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1993年春に早慶戦史上初のサヨナラ満塁弾を放ち[写真=BBM]、同秋は早慶戦を制して優勝を飾った早大・仁志敏久


野球界で天皇賜杯を抱けるのは2つだけ


“土俵の鬼”と呼ばれた第45代横綱の若乃花勝治さん――今は亡き初代若乃花は、戦後最軽量の横綱ながら豪快な相撲で人気を博した。幻の決まり手と言われる“呼び戻し”を得意とし、ライバルの第44代横綱、栃錦との名勝負は戦後の大相撲を隆盛に導いた。ともに優勝10回の両横綱が君臨した『栃若時代』は度重なる横綱同士の相星決戦で盛り上がったそうだ。

 引退後、二子山親方となった“土俵の鬼”とは、縁あって世界中を旅したことがある。二子山親方が相撲のルーツを訪ねて歩くNHKの番組で、韓国、モンゴル、トルコ、スイス、エジプト、セネガルなど、相撲のルーツと思しき格闘技が今に残る国々へ取材に出向いたのだ。日本酒が好きで麻雀を嗜む親方のために、世界のどの国へも一斗樽と麻雀牌を持参し、毎晩、貴重な話を聞かせてもらった。

 その中で印象に残っているのは、親方が「野球は好かん」とこぼしたときの拗ねたような表情だ。戦後、国技館がGHQに接収されて神宮外苑で本場所が行われたとき、隣の神宮球場が超満員の観客を集めるのを尻目に、親方は「野球には負けられん」と思ったのだという。そして「戦前から賜杯を抱いとるのは大相撲だけだからな」と得意気に続けた。土俵の鬼の負けん気と矜持、可愛らしさを感じさせてもらった瞬間だった。

 このとき、神宮球場に超満員の観客を集めていたのは東京六大学野球である。今年、連盟創立100周年を迎えた東京六大学野球は、長きにわたってこの国の野球をけん引してきた。じつは野球界で天皇賜杯を抱けるのは、全日本軟式野球大会と東京六大学野球リーグ戦だけだ。戦後になって、春と秋の東京六大学リーグ戦の優勝校に賜杯が下賜されることになったのである。プロ野球の球団が日本シリーズで勝とうが、社会人チームが都市対抗で優勝しようが、賜杯を抱くことはできない。

 そんな東京六大学野球の各大学OBに・・・

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石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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