
長嶋茂雄監督[写真左]の熱い指導の下“巨人の四番"として着実に成長を遂げた松井秀喜[右]は、今なおホームランバッターの思いは途切れていないと言う[写真=BBM]
公式戦1000試合目に1000日計画の結実
長嶋茂雄、急逝の報を受け、ニューヨーク発羽田行きの飛行機に飛び乗った松井秀喜は、長嶋のもとへ駆けつけて最後の対面を果たした。そして、こうコメントした。
「素振りで会話したと言いますか、素振りを通じて、松井秀喜という野球選手として、もっとも大切なことを授けてくださいました。そのことが私の中で一番の幸運であり、一番感謝している部分です。今後、どういう形で次の世代に継承していくか、ハッキリした形は見えませんが、長嶋監督と生前、約束したこともありますので、その約束を果たしたいなと思います」
今から23年前、松井をドラフトで引き当てた長嶋は、松井を四番として育てるための“1000日計画”を掲げた。球場で、ホテルで、長嶋の自宅の地下室で、灯りを消して真っ暗な中で素振りを繰り返させた。当時、松井はこう言っている。
「目指すのは、オズマの見えないスイングなんですよ(笑)。ボールが来たと分かってから振っても間に合うだけのスイングスピードを身につけたい。ボールを見る距離は長ければ長いほど対応能力は高まりますからね」
理想は『巨人の星』(原作・梶原一騎、作画・川崎のぼる)に登場するアームスト
ロング・オズマの“見えないスイング”だった。アニメの中でオズマが見えないスイングをするときの効果音は「ヒュンヒュンヒュンヒュン」という甲高い音だった。松井が求めていたのも高音のスイングだった。
試合が終わった夜、松井は必ずバットを振った。ホームプレート代わりに新聞紙を半分に折って足下に置き、アウトコースを振るときはアウトコースばかり振り、インコースと決めればそこだけを振る。長嶋の要求に応えるために松井はバットを振り続けた。
「最初は監督が何を求めているのか分かりませんでしたが、振っているうちにだんだん監督の言う“いい音”が分かってきました。いい音が出ないと寝かせてもらえませんでしたから(苦笑)」
長嶋の“1000日計画”が本当の結実を見たのは2000年の日本シリーズだったのではないだろうか。1000日ならぬ1000試合――松井が公式戦と日本シリーズを合わせてちょうど1000試合目を迎えたのは、ON対決で盛り上がった2000年の日本シリーズ、第1戦だった。
松井は第1打席でいきなり東京ドームのセンター右へホームランを放った。第3戦でも福岡ドームのライトスタンド上段へ一発をたたき込んだ。日本一を決めた第6戦ではセンターの左へ高々と舞い上がるアーチを架けた。2000年の日本シリーズMVP――淡々と表彰を受ける松井に、長嶋が拍手を送る。三塁側ベンチ前では笑みを浮かべたホークスの
王貞治監督が松井を見つめていた。
松井は2000年、ジャイアンツが戦った公式戦の135試合、ホークスと戦った日本シリーズの6試合、あわせて141試合のすべてで四番に座り続けた。
落合博満、
清原和博、
高橋由伸と実力者を次々とぶつけられ、なかなか四番を任せてもらえなかった松井だったが、2000年は開幕から不動の四番に座り続ける。開幕から100試合以上続けてジャイアンツの四番を務めたのは、1960年の長嶋以来、40年ぶりのことだった。
厳しい資格試験 ONの前で合格
今でこそ打順は、さまざまな価値観で語られるが、昭和の野球人は四番へのこだわりが強い。風格を品格にまで高め、相手から敬意を払われ、どんなときにも威風堂々としている。打っても打てなくても一喜一憂せず、突き抜けた存在であること――長嶋が四番に求めるレベルはとてつもなく高かった。だからこそホームランを打つだけじゃダメだ、求められる場面でホームランを打たなければダメなんだと、松井は自らを追い込んだ。このとき、松井はこう話している。
「自分が四番を打つんだと思うことで、しかもそれをあえて言葉にすることで、気持ちの中に逃げ道をなくして自分自身を追い込んでいこうと思ったんです」
ONの目の前で、そして20世紀のラストゲームで、松井はジャイアンツの四番打者の厳しい資格試験にようやく合格したのだ。
「野球少年だったころはみんながホームランを打ちたかったと思うんです。でも、たぶんどこかで自分はホームランバッターじゃないなって気づかされるときが来ると思うんですよ。でもね、自分はそれが今も途切れていない。今もホームランを打ちたい、自分はホームランバッターなんだという気持ちが途切れていないんです」
松井は昨秋、
イチローと会ったときに、ジャイアンツのドラフト1位を背負う重みについて訊かれて、こんなふうに話していた。
「それが当たり前だと普通に思えたことがよかったのかもしれません。背負うことをキツいとか面倒くさいと思わなかったのは、目の前に長嶋茂雄さんがいたからです。長嶋さんが常に目の前にいて、私に特別な愛情を注いでくれて……その姿を見ていたら、ひしひしと無意識のうちにそうしなくちゃいけないと感じたんでしょうね。自分の中で大きいのは、長嶋さんが喜ぶことはしたいな、ということ。そこが一番かな。長嶋さんはファンに喜んでもらうことが自分の喜びだという人ですから、私もそこを一番に考えたいと思っています」
長嶋と交わした約束――それを果たしたいと松井は言った。昭和のプロ野球を支えた長嶋茂雄の想いは、令和の今、平成のプロ野球を支えた松井秀喜に受け継がれている。
PROFILE いしだ・ゆうた●ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『
大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。