今季、最もブレークした選手だ。プロ入りは2019年。それは投手として指名されてのことだった。3年目で投手失格の烙印(らくいん)を押され、野手に転向して5年目。ようやくチャンスをつかんだ。そして今、明日のチャンスをつかむためにも、今日、この一打にすべてをかける。 取材・構成=早川大介 写真=戸加里真司 ※成績・情報は8月6日時点 野球をできることがうれしかった
普通であれば、悔しいだろう。そんな支配下から育成契約も、本人にとってはうれしい以外の何ものでもなかった。「また野球ができる」。その感謝の心が、今につながる原動力だった。 ――まず、昔のことから伺います。5年前、投手として戦力外になったときのことを、振り返っていただけますか。
勝又 ピッチャーとして入団して、もちろん一軍に行くことを目指してやっていました。でも、だんだん自分の思うように投げられなくなってしまって……。3年間を終えたあとに戦力外になりました。ただ、そこで野手としてもう一度チャンスをいただいた、という感じです。
――育成選手として再契約を打診されたときは、どんな心境だったのでしょうか。
勝又 翌年も野球ができることが、本当にうれしかったのを覚えています。
――投手への未練よりも、野球を続けられる喜びのほうが大きかった。
勝又 そうですね。投手への未練はありませんでした。それよりも、野球を続けられることが何よりうれしかったです。
――そこから野手として再スタートを切ります。練習もプレーも、まったく違う世界だったのではないですか。
勝又 僕の場合は野手転向の話をいただいて、すぐフェ
ニックス・リーグで試合に出させてもらいました。同じ野球ではあるんですけど、やることは本当に全然違いました。でも、その中で「野球って楽しいな」という気持ちが、また戻ってきたんです。
――本格的に打者としてプロの投手と対戦してみていかがでしたか。
勝又 最後に打者としてピッチャーの球を見たのは高校3年生でした。それから3年間も空いていたので、最初は球が本当に速く見えましたし、自分がマウンドで投げていたときより、ホームベースまでの距離がすごく短く感じました。「プロの野手って、こんな世界なんだ」と衝撃を受けましたし、「ここからどうやって慣れていけばいいんだろう」と思いました。
――そこからは、ひたすらにバットを振り込んだ。
勝又 もちろん、バットはたくさん振りました。でも、不思議と「つらい」という気持ちはあまりなかったんです。もちろん、しんどい練習もたくさんありました。でも、それ以上に野球が楽しかった。その気持ちが、ずっと自分の背中を押してくれていました。
――その「野球が楽しい」という気持ちが、今につながっていると。
勝又 そう思います。野球を続けられる喜びもありましたし・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン