
70年オールスターで左から佐藤氏、近鉄・太田、巨人・渡辺秀武
杉浦さんとのキャッチボール
この間、杉浦(
杉浦忠)さんに焼き肉屋で御馳走になった話はしたよね。俺の入団年が、杉浦さんの現役最後の年で、確か試合ではあまり投げてないけど(16試合)、やっぱり38勝(1959年)の大投手は違う。オーラだけじゃなく、まだまだ球に切れがあった。最後まで、そんなに打たれてなかったと思うよ。
試合じゃないけど、俺が「この人、すげえな」と思ったのは大阪球場の外野でキャッチボールをしていたとき。杉浦さんはライト線の外で、俺はセンターの定位置くらいだったけど、しゃがんだまま投げてノーバウンドでピューンと来た。たぶん、ヒジから先の使い方が柔らかいからだと思うけど、目いっぱい投げるというわけじゃないのに届くんだ。通算187勝で終わった人だけど、故障さえなければもっともっと勝てたんだろうね。
先輩投手では慶応大出身の
渡辺泰輔さんにもかわいがってもらい、よく飲みにも連れていってもらった。1966年に16勝して、この年も先発には入っていたけど、ちょっと力が落ち始めていた時期かな。渡辺さんで覚えているのは、とにかく角瓶のウイスキーしか飲まないんだ。当時、角は大衆的で、あこがれはブランデーという時代。大阪であれば、キタのクラブでブランデーを飲むのが成功の証しというのかな。
2人でキタの通りを歩いているときだったと思うけど、顔なじみの呼び込みの人が「ナベさん、たまには寄ってくださいよ」と言ってきて「お前の店は高級過ぎて角がないからダメだ」と返していたこともある。その人が「ブランデーならいろいろ置いてありますけどね」と言ったら、真顔で「ブランデー代で角が飲めるなら行ってもいいぞ」って言っていた(笑)。一貫してたねえ。
南海はピッチャーもバッターもいい選手はたくさんいたけど・・・
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