
74年の日本シリーズで巨人・堀内にタイムリーを打たれた佐藤氏
初代は獲りたかった
南海ホークスが優勝した1973年は、ウチの長女とカツノリ(
野村克則コーチ。
野村克也兼任監督の息子)が生まれた年なんだ。南海時代の最後のほう、何年だったかは忘れたけど、大阪球場で俺が先発した試合で、ネット裏で当時のヨメさんとマミー(沙知代夫人)と2人の子どもが応援していたことがある。そのときカツノリがバックネットにしがみついて、「〇〇ちゃんのパパ、頑張って!」って言ってたことがあったな。あ、〇〇は娘の名前でパパは俺ね。名前出すと娘に怒られそうだから(笑)。試合は俺の完投勝ちだった。終わったら娘が「パパ!」って抱きついてくれたっけ。
話を戻すよ。
プレーオフで阪急を破ったあと、2日空けただけで巨人との日本シリーズが始まった。第1戦(10月27日)は、大阪球場でやって南海が4対3で勝ったんだ。ウチらは江本(
江本孟紀)が完投で、俺の出番はなかったけどね。それで夜、雨がじゃんじゃん降りだったんで、「あしたは中止や」って、みんなで飲みにいって大騒ぎした。それが何と、朝起きたらピーカンさ(笑)。昔の日本シリーズはデーゲームだし、みんなフラフラ。「こんな酔っぱらってたら負けるな」と言ってたら、やっぱり負けたけどね(笑)。
でも、いい試合だったんだよ。新一(
山内新一)が先発で、俺は1対2の7回からリリーフで投げたんだ。そしたら・・・
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