
水島さんが南海の選手にプレゼントしたイラスト入り湯呑茶碗。同じものを角度を変えて撮った2枚で、左写真右が佐藤氏
あぶさんのおかげで
確か江本(
江本孟紀)もいたから昭和47年(1972年)か48年(73年)あたりかな。当時の南海は1月15日から中モズで全員の自主トレが始まるんだけど、あのとき俺は少し前、8日くらいからキャッチボールを始めていた。家の近所に昔
広島にいた人がいて、「キャッチボールを手伝ってくれますか」と頼んでね。
外野のセンターあたりでやってたんだけど、メガネかけてヒゲ面の人と背の高い人が近寄ってきた。「誰だ、こいつら」って思った。顔も知らんし、新聞記者もファウルエリアからこっちには入ってこないしね。それでヒゲの人が「握手してくれますか」と言ってきたけど、「今は練習中なんで」と言って外に出てもらったんだ。練習が終わって、ファウルグラウンドで話をしたら「漫画家の水島と言います」とあいさつされた。背の高い人はマネージャーだって。
それが水島(水島新司)先生との最初の出会い。当時は、もう有名な漫画家さんになっていたらしいけど、あまり漫画は読まなかったから、名前を聞いても分からなかった。「どんな漫画を描くんですか」って聞いたら「
巨人の星の南海版を描きたい」って言ってた。それで「佐藤さんは鼻が特徴的だから出てもらいます」って。俺は「ああ、そうですか」くらいの返事じゃなかったかな。
それが『あぶさん』だよ。でも、びっくりしたけど、すぐ人気漫画になって、そのおかげで俺たち南海の連中の名前は全国区になった。大阪以外に行っても「南海の佐藤ミチ」と言えば知ってる人が増えた。
ただ、悲しいかな・・・
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