イラスト=イワヰマサタカ
ロサンゼルス・ドジャースが本拠地で地区優勝を決めた9月26日、同じカリフォルニア州の北にあるオークランドでは、1968年から56年間使用してきたコロシアムに、アスレチックスが別れを告げる最終戦が行われていた。来シーズンから暫定的にサクラメントに移転し、2028年には新球場が完成するネバダ州ラスベガスに移転する予定になっている。
56年前、オークランドにアスレチックスを持ってきたのは当時の球団オーナー、チャールズ・O・フィンリーだった。この人は
大谷翔平の二刀流を可能にした指名打者(DH)制導入を推進した人でもある。
保険業で財を成したフィンリーは、1960年、オーナーが急死したカンザスシティ・アスレチックスを買収した。彼にとってやっと叶った長年の夢だった。しかしアスレチックスは前オーナーが、のちに本塁打王となるロジャー・マリスなど有望な若手選手をニューヨーク・ヤンキースへ放出するトレードを繰り返し、他球団やファンからは「ヤンキースのファーム」と皮肉られるチームだった。そのため地元ファンは当初フィンリーのオーナー就任を歓迎した。
ところがフィンリーは・・・
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