67年、筆者2年目。左から長嶋、筆者、土井、王、森。危機的状況ながらボールで遊ぶ悪太郎にみんなが驚いているようにも見える
俺が投げなきゃ始まらない!
2020東京オリンピックの開会式。聖火ランナーとして国立競技場に登場した
長嶋茂雄さんの姿を目にしたときは驚いた。
懸命に歩くトレーニングをしていることは耳にしていたから、何かあるとは思っていた。それがまさか、オリンピックの聖火ランナーのためだったとは知らなかったよ。
長嶋さんのことだ。話をもらったときから、自分の足で走ると決めていたのだろう。少し前まで、杖を頼りに歩いていらっしゃったが、最近の移動は車いすと聞いていた。
現役のころから努力は人に見せない方だから、相当なリハビリをしたと思うよ。
王貞治さんが寄り添い、
松井秀喜にしっかりと支えられて、一歩一歩、ご自身の足で歩まれ、医療従事者の方に聖火をバトンタッチしたときの長嶋さんの笑顔。
いい笑顔だったね。久しぶりに元気な姿を見られて安心もした。ミスターには長生きしてもらいたい。
俺の野球人生は、長嶋茂雄さんにあこがれて始まった。野球を始めたのは中学校に入ってからでね。親にお願いして内野手用のグラブを買ってもらった。ポジションはショート。
そのあこがれの長嶋茂雄さんと同じグラウンドに立てたなんて、今あらためて振り返っても夢のようだよ。
甲府商高から
巨人軍に入団したのが1966年。当時の巨人軍は大人のチームだった。長嶋さんとは、干支が一緒で歳が12離れている。18歳で入団したとき、長嶋さんは30歳。俺は長嶋さんから「坊や」と呼ばれた。
プロ初登板・初先発は入団1年目の1966年4月14日。その日は突然やってきた・・・
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