
西武・松坂大輔の引退試合。試合後、マウンドに手を置き、感謝の言葉を送った
松坂にはもう一度沢村賞を獲ってほしかった
今年もドラフト会議が開催され、『週刊ベースボール』のドラフト決算号には、明日への希望に満ちた若者たちの顔が表紙を飾っていた。いい表紙だなって思ったよ。しかし、この笑顔の数だけ、涙してやめざるを得ない選手たちがいることを忘れてはいけない。
今年は、「平成の怪物」と呼ばれた西武の松坂大輔、そして「ハンカチ王子」と呼ばれた
日本ハムの
斎藤佑樹。甲子園での活躍から注目を浴び続けてきた2人がユニフォームを脱ぐことを決めた。
高校3年時、松坂が甲子園春夏連覇、斎藤が夏優勝。どちらもすごいが、この2人は比べることができない。なぜなら、松坂は高校の時点で完成されたピッチャーであり、斎藤は伸びしろを持ったピッチャーだったからだ。そもそも、高校からプロに入って、最初から勝ち星を計算できるピッチャーなんてそうはいない。完成してプロに入ってきたピッチャーというと、俺の中では、松坂の前は
桑田真澄(PL学園高-
巨人)までさかのぼる。
松坂の入団1年目。1999年3月。京都・西京極で行われた巨人とのオープン戦。俺は解説のため球場にいた。4イニングを投げた松坂は、初回から5失点。4回9安打8失点とボコボコに打たれる。ストライクが入らない。肩が上がらない。肩を痛めているとさえ思った。周りの目も同じで、松坂はプロで通用するのかと懐疑的な意見もあった。しかし、このときの松坂は、わざと、「ここへ投げたら打たれるのか試していた」らしいよ(笑)。
松坂は、高校時代から、高校生離れをしたピッチャーだった。球のスピード、変化球のキレ。そして、特徴的なのが、踊るようなピッチング、マウンド上での躍動感だ。制球力は抜群とは言えないけれど、ボールもそれなりのところに行くから、プロのバッターがビックリして打てやしない。
入団1年目の成績は16勝5敗。これだけ勝てたら・・・
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