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堀内恒夫の悪太郎の遺言状

堀内恒夫コラム 第14回「練習で焦っても仕方がない。努力する方向を間違えるなよ」

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若手時代、地元山梨の身延山で自主トレを行う筆者


川上監督が腰を抜かす?


 正月気分もまだ抜けないっていうのに、早くも自主トレの話題が耳に入ってきた。俺が現役のころと比べると明らかに変化していることが2つある。

 1つは開始する時期だ。始動が早い。俺が現役のころの巨人軍は、2月1日に多摩川グラウンドに集まり合同自主トレを行う。みんなでランニングから始まって体づくりから一斉にやり、その後、宮崎に移って本格的に始動する。それが今じゃ、2月1日に紅白戦をするって言われたら、当然ながら選手はそれまでに体をつくっておかなくちゃいけない。自主トレ、キャンプ、紅白戦、オープン戦、すべてが前倒しになっていくけれど、開幕時期はほぼ同じで、試合数は以前より増えている。オンとオフがしっかり切り替えられているのか、長丁場に耐えうる体づくりができているのかと心配になる。

 俺が現役のころ、すべての試合が終わったら、まず体の手入れをした。トレーナーを連れて温泉に行ったりしてね。1シーズン酷使した体のアフターケアをやったら、しっかり休養をとる。と言っても、ジッとしているわけじゃない。お楽しみや副業に走る(笑)。当時は、オフシーズンを待ってましたとばかりにサイン会などのイベントやら、テレビ番組の出演、コマーシャル撮影やら、ゴルフコンペのお誘いなんかが目白押しでね。その年に良い成績を残した選手なんかは、それこそ引っ張りだこになったもんだよ。

 テレビ番組出演で思い出深いのは、1973年の大晦日のこと。第15回レコード大賞を五木ひろしさんが「夜空」という曲で受賞することになってね。その五木さんの花束贈呈役にお声を掛けてもらったんだ。73年の日本シリーズで目覚めたかのような活躍でMVPを受賞したからか、同じ年齢ってこともあったんだろうね。お祝いとしてステージに駆けつけたことは今でも鮮明に覚えているよ。

 そんなオフの過ごし方をしているから・・・

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堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

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「悪太郎」こと巨人V9のエース、堀内恒夫氏の連載コラム。野球人生の集大成。

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