
今秋のドラフトで巨人は戸郷翔征に続けるような素材の投手を獲得し、育て上げなければならない。かつてのようなスカウト力と育成力を取り戻すことが必要だ
V9時代に活躍したドライチは俺と高田繁さんの2人だけだった
何を隠そう、1965年11月に行われた第1回プロ野球ドラフト会議で、巨人から1位指名を受けた選手は俺だった。
甲府商高から翌66年に入団した俺は、1年目から16勝2敗の好成績を挙げて、最優秀防御率、最優秀新人、沢村賞などの各タイトルを獲得した。巨人はV9黄金期の序章となる2年連続リーグ優勝と、日本シリーズ連覇を実現している。
さらに2年後のドラフト会議で1位指名された選手は
高田繁さんだった。高田さんは明大出身の外野手で、入団1年目の68年に規定打席不足ながら打率.301をマーク。「壁際の魔術師」と言われるほど守備がうまくて、俺と同じ最優秀新人を獲得している。
しかし、ドラフトで入団した選手の中で、V9時代に主役として活躍できたのは、俺と高田さんの2人だけだったと言っていい。
長嶋茂雄さん、
王貞治さん、森昌彦(現・祇晶)さん、
土井正三さん、
黒江透修さん、
柴田勲さん、
末次利光さんを中心とするV9戦士の力が強過ぎたという理由もあるだろう。
ところがV9時代が終わりを告げると、様相が変わってきた。75年に長嶋さんが監督へ就任し、ドラフト1位で甲子園のアイドル、
定岡正二を獲得した。鹿児島実高出身の定岡は、81年から
藤田元司さんが監督に就任すると、スライダーを武器に11勝(7敗)を挙げてリーグ優勝とシリーズ制覇に貢献している。
定岡が入団した翌76年に巨人はドラフト1位で
篠塚利夫(現・和典)を獲得した。篠塚は入団5年目からセカンドのレギュラーを獲得。84年と87年には首位打者に輝いている。
78年にドラフト1位で入団した
山倉和博は・・・
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