ヤクルトで野村克也監督の“最高傑作”と呼べる存在が古田敦也だ。ともに1990年にヤクルトへ入団し、日本一まで駆け上がっていった。栄光に到るまで、野村監督が古田に授けた教えとは──。 取材・構成=中井聡(共同通信) 野村監督[左]と古田は二人三脚で歩んでいった
オープン戦で古田をスタメンから外した理由
昨年7月11日、ヤクルトのOBによるドリームゲームが神宮球場で行われ、野村克也元監督が代打で登場した。84歳で歩くこともままならなくなったかつての名将は打席に立つと、古田敦也のほか、池山隆寛、川崎憲次郎らの教え子たちに周囲から体を支えられ、小さくバットを振った。ファンを喜ばせるための演出が球場全体を沸かせ、ヤクルトが野村監督の下で光り輝いていた時代への郷愁が広がった。
野村監督は捕手一筋に3017試合に出場し、1980年に現役を引退した。その後はユニフォームを着ることなく、9年間のブランクを経て90年にヤクルトの監督に就任。その1年目に同じキャッチャーでルーキーとしてトヨタ自動車から入団してきたのが古田だった。この2人の出会いこそ、この後の9年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一となる栄光への始まりだった。「守りの野球」を掲げる野村監督は古田のセンスを見抜き、チームに6人いた捕手の中からこの新人をレギュラーに抜てき。プロとしての心構えから自分が培ってきた野球理論を心血注いでたたき込んだ。
古田は捕手として指導されたリードを打撃の読みに生かし・・・