
ヤクルト退団直後の98年オフ、熱心に誘われ阪神監督に就任した
選手の意識改革から図ろうとしたが……
1998年にヤクルトを退団した野村克也は、そのオフすぐに阪神監督のオファーを受けた。日本一となった85年以来、13年間で7度の最下位。「ダメ虎」「高校生よりも弱い」などと揶揄(やゆ)されるなど6年連続Bクラスにあえいでいた球団幹部は、リーグのお荷物だったヤクルトを強くした「名将」の手腕を高く評価していた。
過去、生え抜きの人事が原則だったが、久万俊二郎オーナー自らが要請の場に出席。「タイガースは今、どん底にある。監督にふさわしいのは野村さん以外考えられない」という熱心な説得もあり、当時はまだタブーだった同一リーグでの間を置かない移籍に応じた。
就任早々「野村ノート」を配布し・・・