
ポストシーズンでは、リリーフとしてチームに貢献している佐々木朗希。開幕から8試合に先発もケガでマイナーへ。フォームを徹底的に見直したことで持ち味の100マイルを超える直球が息を吹き返し、崩壊気味だった救援陣の救世主となった
ドジャースの佐々木朗希が、歴史に名を刻んだ。フィラデルフィアで行われたフィリーズとの地区シリーズ第2戦。4対3と1点差に迫られた9回、二死一、三塁という絶体絶命のピンチで登板したが、今季首位打者のトレイ・
ターナーを2球で二ゴロに打ち取り、チームを救った。
これで2試合連続のセーブ。セーブが公式記録となった1969年以降、「キャリア最初の2セーブをともにポストシーズンで記録した」投手は史上初。試合後、佐々木は「前回より準備に時間があった。ストライクを取る準備はできていた」と淡々と振り返る。初球のスプリットはボールだったが、2球目の内角99.3マイルの直球でターナーを二ゴロに仕留めた。「気持ちの準備はできていたし、いざ行くというときも割り切って、自滅せずにゾーンでいく。それだけを意識しました」と語った。
これでポストシーズン3試合連続で9回に登板し、いずれも無失点。クローザーとして正式な任命こそないが、
デーブ・ロバーツ監督は「朗希は呼ばれたときにしっかり準備できていた。大きなアウトを取ってくれた」と信頼を深めている。それにしても、わずか1カ月前まで佐々木はドジャースのポストシーズン計画に入っていなかった。
先発投手として契約し、開幕から8試合に登板したが、34回1/3で22四球、24奪三振。カウントを悪くするケースが多く、速球も打ち込まれ、安定感を欠いた。球速も100マイルには届かず、95.97マイル程度に落ち着いていた。5月には右肩のインピンジメント症候群を発症し、長期離脱。8月に復帰したものの、マイナーでの登板では球速が93マイル止まりで、三振も取れなかった。
ロバーツ監督が「次にいつ登板するのか」「本人とは話したのか」と問われても、ほとんど状況を把握していなかったほどで、戦力として計算されていなかった。転機は9月初旬、アリゾナのチーム施設だった。ピッチングディレクターのロブ・
ヒルとともに、日本時代の肩の故障や昨季の腹斜筋のケガで崩れていたフォームを徹底的に修正。肩や体幹の使い方を見直したことで、劇的に球速が戻った。3Aでの先発登板ではフォーシームの平均球速が98.3マイル、最速は100.6マイルを記録。チーム内の評価は一変した。
一方でメジャーの救援陣は崩壊寸前だった。新加入の
タナー・スコットは移籍1年目で10回もセーブを失敗。ブレーク・
トライネン、
カービー・イェーツも結果を残せず、ブルペンの救世主として佐々木への期待が急浮上した。マイナーではわずか2度の救援登板のみ。メジャー復帰後も2試合を経て、すぐにポストシーズンへ臨んだ。それでも十分だった。
ワイルドカード・シリーズのレッズ戦では9回に登板し、11球で3つのアウトを取り試合を締めた。初球のストライクは100.7マイル、そしてシーズン最速となる101.4マイルも計測された。
「時間は掛かりましたけど、トレーナーやコーチなど、いろんな人たちに支えてもらって状態を上げることができた。本当に感謝しています」と語っている。1カ月前に計画に入っていなかった投手が、
大谷翔平、
山本由伸と並び、ドジャースの勝利に欠かせないピースとなったのである。
文=奥田秀樹 写真=Getty Images