昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。日本ハムほかでマスクをかぶった田村藤夫さん編の2回目は、日本ハムで正捕手として過ごした全盛期のお話を伺いました。 文=落合修一 
田村藤夫
一軍初出場で簑田を刺す
──田村さんの一軍初出場は1981年9月27日の阪急戦(西宮)。この年は1試合だけなんですね。
田村 シーズン最終戦で、後期優勝が決まったあとの消化試合です。試合の途中から出場しました。覚えているのは、7回の二死一、三塁、一塁走者が
簑田浩二さんという場面。
──簑田選手と言えば、通算250盗塁の俊足です。
田村 厳しい状況でした。やはり走ってこられて、微妙でしたけどアウトの判定だったのです。僕はそのイニングの頭から出場したのか途中で交代したのか覚えていないのですが、簑田さんの盗塁を刺してチェンジにしたのは印象に残っています。
──一軍初出場の若手捕手が、簑田選手の盗塁を刺したわけですね。日本ハムの
大沢啓二監督からは何か言われましたか。
田村 「ナイスボール!」とか言われたと思うんですけど僕は緊張していたから、「ああ、よかった」と安心したことしか覚えていないです。その後、
ロッテとのプレーオフ、
巨人との日本シリーズがありました。いずれも全試合ベンチ入りしましたが1試合も出ていません。
──第3の捕手。
田村 味方の攻撃中に投手がベンチ前でキャッチボールをするときの相手とか、ブルペンで球を捕るのが役割でしたね。巨人との日本シリーズの思い出は、後楽園はこっちも本拠地だったのに(巨人の人気がすご過ぎて)そんな感じがしなかったこと。
──当時のファイターズはどういう雰囲気でしたか。
田村 時代が時代なので、若い選手はなかなか先輩のところに行けないじゃないですか。あまり優しくなかったし……。どこのチームもそうだったと思いますよ。
──主力だった
柏原純一さんや
古屋英夫さんは怖かったですか。
田村 古屋さんはそうでもなかったですが・・・
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