昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元ヤクルトほかの“ギャオス”こと内藤尚行さんの2回目は、1987年にプロ入りした直後のお話を伺いました。 文=落合修一 
内藤尚行
ギャーギャーうるさい高校生ルーキー
──1987年にドラフト3位でヤクルトに入団しました。
内藤 最初は、開幕一軍という明確な目標がありました。当時は
関根潤三監督だったのですが、関根さんも就任1年目だったので、最初はヤクルトのことをあまり分かっていなかったと思うんです。そこで自分が目立ってやろうと、練習なんかもワイワイギャーギャーとやっていたんですよ。
──すごい高校生ルーキーです。
内藤 投手コーチの小谷(
小谷正勝)さんが「今年は変な新人がいる。ギャーギャー、うるさいんだよ」と新聞記者に言って、そこでマスコミが「その新人のニックネームを『ギャオス』にしてしまえ」と決めて、「ギャオス参上」と書いたんですね。ユマキャンプが始まるときでした。
──それが「ギャオス」の由来。
内藤 そういうことです。2月1日の新聞に載ったのかな。アメリカにいたから、日本の新聞が3日後くらいに遅れて届くんです。それを見て、「ああ、載ってる、載ってる」と。
──1年目からユマキャンプに参加したわけですか。
内藤 ラッキーでした。というのも、このときは一軍も二軍も全員がユマキャンプだったんです。僕は本来、二軍でした。でもアピールできるチャンスだと捉えました。キャンプイン前日に根来(
根来広光)二軍監督がルーキー全員を集めて、「ウチは若松(
若松勉)がいるし、広沢(
広沢克己)や池山(
池山隆寛)もいてすごい選手が多いけど、お前らも頑張れ」と。それならとにかく声だけは出して目立ってやろうと思って、もうずっと新人らしく声を張り上げていました。
──その時点で池山選手はプロ4年目の若手でしたよね。
内藤 それまでは池山さんがチームのワイワイキャラだったんですよ。
──若手の筆頭。
内藤 その池山さんよりも声を出せば、もっと目立てるなと。もちろん・・・
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