
シーズン中ではあったが戦力の切り替えを決めた西武・広岡達朗監督は、公式戦の試合前でも徹底的に若手選手たちを鍛えた
田淵、山崎、大田……。野手陣の高齢化問題
プロ野球の歴史には「黄金時代」を築いたチームが数多く存在する。1956年から日本シリーズ3連覇を果たした三原西鉄。不滅のV9を達成した川上
巨人。70年代後半に無敵の強さを誇った上田阪急……。その中でもひと際輝くのが、82年から94年までの13年間で11度のリーグ優勝、8度の日本一を成し遂げた西武だろう。65年のドラフト制度誕生により自由に選手を獲得できる時代が過ぎ去ったあとで、これだけ長きにわたり一大王朝を築いたのはまさしく偉業と言える。その真の黄金時代が始まったのはいつだったのか。それは84年5月20日だと、広岡達朗は日付まで断定する。その日こそが常勝軍団の始まりである、と。
82年、西武監督に就任した広岡は妥協を知らない指導と食事まで含めた徹底した管理で選手の意識を変え、福岡時代から6年連続Bクラスと低迷していたチームをいきなりリーグ優勝と日本一に導いた。続く83年も日本シリーズで「球界の盟主」巨人を撃破し見事連覇を達成。西武はまさにわが世の春を謳歌していた。
しかし将来を見据えたとき、広岡には大きな懸念があった・・・
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