
1968年7月21日の東京対近鉄[東京]に「五番・一塁」で出場した榎本喜八は第1打席で鈴木啓示から右翼線に二塁打を放ち、史上3人目の2000安打を達成
早実から入団1年目に打率.298
2023年7月現在、プロ野球には54人の2000安打達成者がいる。天才と称された打者がいた。努力型の打者がいた。我が道を行く打者もいた。その中にあって、天賦の才を持ち、血の滲むような鍛錬を重ね、孤高を貫き、そして引退後はプロ野球界から完全に姿を消した打者は、榎本喜八ただ一人である。
1955年、榎本は毎日オリオンズ(現
千葉ロッテマリーンズ)に入団した。早稲田実業高等部で甲子園に出場したものの目立った活躍はできず、毎日へはテストを経ての入団だった。しかしその打撃を見た
別当薫監督は「高校を出たばかりの打者で、初めて何も手を加える必要のないバッティングフォームを持つ者が現れた」と驚いた。そして3月26日の近鉄との開幕戦(西京極)に、いきなり「五番・一塁」で起用している。榎本は期待に応え、この年打率.298、16本塁打を記録。その打撃力を遺憾なく発揮した。その一方で榎本は優れた選球眼の持ち主でもあった。選んだ四球はリーグ最多の87。当然のごとく新人王を獲得した。
榎本には師匠と呼ぶべき存在がいた。早実の先輩で、チームメートでもあった
荒川博である。59年オフ、荒川は傾倒していた合気道の身体法を応用した「合気打法」を榎本に指導した。超が付くほどの真面目人間だった榎本は・・・
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