
阪神対巨人[甲子園]のシーズン最終戦は勝ったほうがリーグ優勝という大一番だったが、結果は巨人の大勝とあって三塁側ベンチはファンに襲われた
巨人のV9最終年は土俵際に追い詰められた
1965年から73年にかけて、巨人は空前絶後の9年連続日本一、いわゆる「V9」を達成した。
川上哲治監督指揮の下、
王貞治と
長嶋茂雄を中心とした野手陣と、
堀内恒夫や
高橋一三らを擁する投手陣は盤石の構えを見せた。だが連覇の後半期は圧倒的大差をつけて優勝することが少なくなった。「一番強かったのは3~5連覇の頃だね。7~9連覇は辛うじて勝つ試合が多くなった」と遊撃手だった
黒江透修は振り返る。特に9連覇目となる73年は、王者・巨人が土俵際まで追い詰められる最も苦しいシーズンとなった。
その要因として野手陣の高齢化が挙げられる。4月14日の開幕戦(後楽園・対
ヤクルト)の時点でスタメンの平均年齢は32歳。30代が実に6人を占めた。若手を押しのけてスタメンの座を守り続けたベテランたちの実力は本物だったが、年齢による衰えは否応もなく訪れる。この年33歳の王は打率.355、51本塁打、114打点で初の三冠王を獲得し変わらぬ打棒を見せつけたが、最年長37歳の長嶋の衰えは深刻だった。打率.269はリーグ13位。かつての輝きは失われつつあった。
シーズンに入ると巨人は低迷し続けた。勢いのないチームは貯金をつくることができず、前半戦を終えた時点で借金3の4位。首位の
中日とは5.5ゲームも離されていた。巨人の9連覇に黄色信号がともった。
しかし常勝軍団はここから意地を見せる。ベテランには厳しい夏場を迎えながら、巨人は試合巧者ぶりを発揮し、次々と接戦をモノにしていった。8月30日の
広島戦(後楽園)を堀内の完封勝利で制すると・・・
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