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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1979年8月1日>死球が直撃、骨折しても翌日に代打で出場した“鉄人”の不屈の闘志

 

巨人西本聖の投球が左肩に当たった広島衣笠祥雄は打席で転倒。この後に病院へ運ばれ、骨折と診断されることになる


シーズン前半は不振に苦しんでいた


 初めて野球に負けた──。

 衣笠祥雄(広島)が後年こう語るほどのスランプに陥ったのは、1979年前半のことだった。

 4月7日、阪神との開幕戦(広島)で2本塁打を放つ絶好のスタートを切った衣笠だったが、その後は当たりがパタリと止まった。なんとか不振を抜け出そうと夜通しバットを振ってみても、ただ疲労が重なるだけで効果は出ない。明日地球が爆発してくれればいいのに。そんな空想を抱くほど衣笠の悩みは深まっていた。

 それでも衣笠がスタメンから落ちることはなかった。三宅秀史(阪神)が持つ700試合連続フルイニング出場のNPB記録更新がかかっていたからである。だが衣笠の打率は、5月27日の中日戦(広島)を終えた時点で.198まで落ち込んだ。チームも5位と低迷している。衣笠と監督の古葉竹識には批判が集まっていた。このままでは衣笠のためにならない。悩みに悩んだ末、古葉はついに決断を下した。

 翌28日の中日戦(岡山)、スタメン発表の際に衣笠の名前が呼ばれることはなかった(代打で出場)。三宅のNPB記録まであと22試合を残しての断念だった。目に涙を浮かべて衣笠は言った。

「悔しいのは、なぜこれだけ練習したのに自分に勝てなかったのかということだ」

 ただし、70年10月19日から始まった連続試合出場はまだ継続していた。NPB記録は飯田徳治(南海・国鉄)の1246試合だが、この時点で衣笠の記録は・・・

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