巨人・西本聖の投球が左肩に当たった広島・衣笠祥雄は打席で転倒。この後に病院へ運ばれ、骨折と診断されることになる
シーズン前半は不振に苦しんでいた
初めて野球に負けた──。
衣笠祥雄(広島)が後年こう語るほどのスランプに陥ったのは、1979年前半のことだった。
4月7日、
阪神との開幕戦(広島)で2本塁打を放つ絶好のスタートを切った衣笠だったが、その後は当たりがパタリと止まった。なんとか不振を抜け出そうと夜通しバットを振ってみても、ただ疲労が重なるだけで効果は出ない。明日地球が爆発してくれればいいのに。そんな空想を抱くほど衣笠の悩みは深まっていた。
それでも衣笠がスタメンから落ちることはなかった。
三宅秀史(阪神)が持つ700試合連続フルイニング出場のNPB記録更新がかかっていたからである。だが衣笠の打率は、5月27日の
中日戦(広島)を終えた時点で.198まで落ち込んだ。チームも5位と低迷している。衣笠と監督の
古葉竹識には批判が集まっていた。このままでは衣笠のためにならない。悩みに悩んだ末、古葉はついに決断を下した。
翌28日の中日戦(岡山)、スタメン発表の際に衣笠の名前が呼ばれることはなかった(代打で出場)。三宅のNPB記録まであと22試合を残しての断念だった。目に涙を浮かべて衣笠は言った。
「悔しいのは、なぜこれだけ練習したのに自分に勝てなかったのかということだ」
ただし、70年10月19日から始まった連続試合出場はまだ継続していた。NPB記録は
飯田徳治(南海・国鉄)の1246試合だが、この時点で衣笠の記録は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン