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<1975年10月21日>安打なら逆転首位打者、という局面で無情にも死球に終わったシーズン最終打席

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中日井上弘昭はシーズン最終打席で安打を打てばかつての同僚・山本浩二[広島]を逆転して首位打者に躍り出る状況にまで追い上げたが……


相手投手は阪神・米田哲也


 1975年10月21日、中日球場にて中日対阪神の26回戦が行われた。両チームにとって、これがシーズン最終戦だった。優勝は15日に広島が果たしている。完全な消化試合、しかも平日のデーゲームである。閑散としていてもおかしくない球場には、しかし1万7000人もの観客が詰めかけていた。彼らの関心は、「三番・レフト」で先発出場した中日の打者にあった。男が打席に立つたびに、ひと際大きな歓声がスタジアム中に響くのだった。

 その男──井上弘昭が、この日最後となる4回目の打席に立ったのは8回裏である。この時点で打率はリーグ2位の.3184。すでに全日程を終えている広島・山本浩二の打率.3193に、わずか9毛差に迫っていた。この打席でヒットを打てば、井上は逆転で首位打者のタイトルを獲得する。

 マウンドには、シーズン途中に阪急から移籍してきた米田哲也がいた。これまで345勝を挙げている大投手である。その3球目、米田は井上の内角にシュートを投じた。井上の上体が、ピクリと動いた──。

 68年、井上はノンプロの電電近畿からドラフト1位で広島に入団した。全日本では四番を打った強打の外野手で、その太い腕から「ポパイ」と呼ばれた。大いに期待されたが、1年目は35試合の出場にとどまった。

 広島が井上と同じ右打ちの外野手をドラフト1位で獲得したのは翌69年のことだった。75年に井上と首位打者を争うことになる山本である。走攻守そろった名門・法大のスター選手であり、かつ地元・広島出身。強力なライバルの出現に井上は危機感を募らせた。負けてなるかと山本よりも少ない打席で同数の12本塁打を放ち、存在感を示した。

 だが、球団がスタメンの外野手として選んだのは山本だった。井上は、弾き出される形で三塁手に転向した。

 その後、成績が低迷した井上は・・・

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