
落合の交換相手としてロッテに移籍した4選手の入団発表。左から平沼、上川、[有藤道世監督、松井静郎球団社長を挟んで]牛島、桑田
トレードの主役はあくまで落合
1986年オフ、プロ野球の話題は一人の男に独占された。この年2年連続となる三冠王に輝いたロッテの主砲・
落合博満である。
きっかけは、恩師と慕う
稲尾和久監督の突然の解任だった。これに納得できなかった落合は、11月4日に福岡で行われた激励会で「稲尾さんがいないならロッテにいる必要はない。来年どのチームにいるか分からない」と発言。これがトレード志願と受け取られ、大騒動に発展したのである。
三冠王を3度獲得し、パ・リーグを代表するスラッガーの座に君臨していた落合だったが、その独特な個性をロッテ球団が持て余していた面は確かにあった。さらに高騰する年俸もネックになっていた。球団は落合放出を否定したが、移籍は必至との見方が強かった。
有力相手は、前年もトレードを打診したとされる
巨人である。
中畑清、
篠塚利夫(現和典)ら主力野手を軸に話を進めた。だがロッテの思惑とは一致せず、交渉は難航する。
ここで割って入って来たのが
中日である。10月末に監督に就任した
星野仙一は「打倒・巨人」に燃えて現役時代を過ごした投手であり、監督になってもそれは変わらなかった。落合を巨人に渡すわけにはいかないと、自ら主導して落合獲得を画策した。
中日は
牛島和彦、
平沼定晴、
桑田茂の若手3投手に内野手の
上川誠二を加えた1対4のトレードを提案、投手力不足に悩むロッテはこれに応じた。12月23日の午後10時過ぎ、両球団からトレードが発表された。こうして2カ月弱に及ぶ落合移籍騒動は幕を降ろした……かに見えた・・・
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