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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1976年1月28日>阪神の「一匹狼」江夏の南海へのトレードが発表。「優勝請負人」への第一歩

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阪神から南海へトレードで移籍することになり、入団発表に臨んだ江夏[中央]と南海・野村兼任監督[右]。左は同時に移籍した望月充


阪神史上、最高の左腕


 阪神・江夏豊、南海へトレード──。

 日刊スポーツが1面でそう報じたのは、1975年12月24日のことだった。またか、と江夏は思った。オフになると「江夏放出」が話題になるのは、そのころ年中行事のようになっていた。だが江夏は、自分が阪神を出されるはずがないと思っていた。実際、同26日に球団事務所に出向いた江夏に対し、長田陸夫球団社長はトレードを否定している。長田は江夏の身内にも直接連絡し、放出がないことを明言したほどだった。しかし、これで一見落着、とはならなかった。江夏を取り巻く状況が悪化していたのは、誰の目にも明らかだったからである。

 阪神史上最高のサウスポーは誰かと問われれば、ほとんどの野球ファンは江夏の名前を挙げるだろう。NPB史上最高の、だとしても同じかもしれない。67年、大阪学院大高からドラフト1位で阪神に入団した江夏は、150キロ後半に迫ったと言われる剛速球と抜群の制球力を武器に三振の山を築いていった。1年目から6年連続でリーグの最多奪三振を記録。68年にマークした401奪三振は、半世紀以上経った今でもNPB歴代1位の座に君臨している。71年のオールスターゲーム第1戦(西宮)では9者連続奪三振を達成するなど、エピソードにも事欠かない。名実ともに一時代を築いた阪神の大エースであった。

 一方で、江夏は・・・

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