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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

【1959年5月10日】「鉄腕」の対近鉄連勝を22でようやく止めた関根の延長11回サヨナラスリーベース

 

近鉄はこの年、「パールス」から「バファロー」に改名して1年目。殊勲打を放った関根[右端]とは、のちに大洋[現DeNA]、ヤクルトの監督を務め、解説者としても親しまれた関根潤三のことだ


デビューから3年間、無敗


 人間関係には相性というものがある。そして人間の集合体であるプロ野球のチームにも、どうやらそれは存在するらしい。

 何度対戦しても攻略が難しく、大抵の場合は勝ち星を献上して終わる。言ってしまえば相性が悪い。そのような投手がいる。俗に「キラー」と呼ばれる天敵だ。

 対戦チームのファンは、水を得た魚のように生き生きと投球する「キラー」に顔をしかめ、相変わらず凡打を重ねる打線にため息をつく。情けなさを超え、腹立たしさを覚えることすらある。そんな精神状態は、お世辞にも良好とは言い難い。

 それでも断言する。1950年代後半、西鉄(現西武)のエース・稲尾和久が投げる試合の近鉄ファンに比べれば、はるかにマシである、と。なにしろデビューからおよそ3年間、稲尾は近鉄相手に1敗も喫することなく、実に22回も続けて勝利投手になったのだから。

 稲尾が、対同一チーム22連勝というNPB記録を達成できた理由は2つある。1つは、稲尾が球史に残る大投手であったからだ。高卒1年目の56年から58年までの3年間で、稲尾が残した成績は89勝22敗。1009イニングを投げ、防御率は1.31。この間に獲得したタイトルは新人王、最多勝2回、最優秀防御率3回、MVP2回。驚異的と言うほかはない。鋭いスライダーに抜群の制球力、加えて連投を厭(いと)わぬ「鉄腕」ぶりで西鉄を3年連続日本一に導く原動力となった稲尾は、当時パ・リーグ最高の投手だった。

 もう1つの理由も明確である。それは・・・

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