
ウィル・ベナブル監督[ホワイトソックス]
今週からは日本人メジャー・リーガーの上司やチームメートを紹介する。今回は
村上宗隆内野手が入団したホワイトソックスのウィル・ベナブル監督だ。現役時代は左投げ左打ちの外野手で、メジャー9年間の通算成績は967試合、707安打(打率.249)、81本塁打、307打点、135盗塁。
1982年10月29日、カリフォルニア州のグリーンブリー出身で、2005年のドラフトでパドレスから7巡目指名され入団。08年8月29日のロッキーズ戦でメジャー初出場。15年途中にレンジャーズへ移籍し、16年にドジャースで現役を終えた。引退後はカブスやレッドソックスのコーチなどを経て25年10月にホワイトソックス監督に就任。1年目の昨季は60勝102敗で、2年連続でア・リーグ中地区の最下位だった。父のマックスもメジャーの外野手。メジャーではジャイアンツなどでプレーし、その後1992年から2年間、
ロッテに在籍した。
卒論は「日本とアメリカの野球比較」
ウィル・ベナブルという名を聞いて、最初に思い出すのは2012年のオープン戦だ。この年、日本から鳴り物入りでメジャーに来た
ダルビッシュ有がパドレス戦で初登板した。その試合でダルビッシュから中越えの二塁打を放ったのだった。日本選手絡みでの思い出である。
そのベナブルが村上の監督になった。村上について「もうチームに溶け込んでいる。それはとてもいいことだ。打撃のパワーは申し分ない。守備にも積極的に取り組んでいる。まだ若い選手なのに、ベテランのようなプロ根性を持っている」と褒め「日本人選手の監督を務めることができるなんて、とても光栄だ」と喜んでいた。
ベナブル監督はメジャーでも指折りの親日家だ。父がロッテでプレーした2年間、小学生だったベナブル監督は日本で過ごした。
ちなみにホワイトソックスのジョシュ・バーフィールドGM補佐の父・ジェシーは、
長嶋茂雄監督復帰1年目の1993年、
巨人でプレーした。そのとき、GM補佐は日本生活を経験したという。ちなみに筆者はその年に巨人担当の記者だったので、1986年のア・リーグ本塁打王だった
ジェシー・バーフィールドのことを懐かしく思い出した。
話をベナブル監督に戻す。このように幼いころに日本で暮らした者は少なくないのだが、そのなかでもベナブル監督の日本への関心の高さは特筆すべきものだ。
ベナブル監督が出たのは勉学で鳴るアイビーリーグのプリンス
トン大。卒業生には大統領やノーベル賞受賞者が何人も出ている名門だが、卒業論文が「アメリカと日本における野球の人類学的視点」というものだったのだという。
「日本で野球場に行くと、観客の熱い思いを感じた。だからずっと興味を持っていた。日本の野球愛にどっぷり浸かるのはとても楽しいことだった」とベナブル監督は話していた。村上はよき理解者のもとでメジャー1年目に臨む。
取材・構成=樋口浩一 写真=Getty Images