本誌に『綱島理友のプロ野球ユニフォーム物語』を長期連載中のプロ野球意匠研究の大家・綱島理友氏による特別寄稿である。北海道日本ハムファイターズのユニフォームなどのデザインの歴史的意義について──。 文=綱島理友 イラスト=イワヰマサタカ 
左からホーム、プラクティス、ビジター
最初は熊のマスコット
日本ハムファイターズの北海道移転におけるイメージ戦略構築の上で大きな役割を果たしたのが、斬新な左右非対称のユニフォームと、洗練されたプライマリーマーク、そしてスマートで愛嬌のある球団マ
スコットB・Bの3点セットだったのではなかったかと思う。
ファイターズが北海道移転を開始したのは2003年のシーズン終了後だった。トップバッターとして、その姿が明らかになったのが球団マスコットの熊だった。名前を公募するために図版が発表されたのである。
しかし球団の全体像がまだ不明な中、いきなりマスコットだけの登場だったため、ファンの間には戸惑いが広がり、当初は否定的な反応が多かった。それでも10月から11月にかけて名前が募集され、応募総数1万3848通の中から「ブリスキー・ザ・ベアー」(通称『B・B』)が選ばれ、12月24日に発表されている。そして着ぐるみマスコットが登場し、それを目にするようになると、それまでのファンの間の違和感もだんだんと消えていった。

「ブリスキー・ザ・ベアー」[通称『B・B』]
一方、ユニフォームの発表はマスコットの名前決定よりも1カ月前の11月27日。札幌市内のホテルでお披露目された。
その最大の特徴はホーム、ビジター用ともに左袖だけが西洋甲冑の肩甲をイメージして黒袖になっていたことだ。つまり左右非対称デザインで、今までの日本球界のユニフォームにはない斬新なスタイルの採用だった。
米国メジャー・リーグの伝統球団は長年のデザインを決して変えない。野球ファンは基本的にオーソドックスなデザインを好む傾向がある。斬新なデザインという触れ込みで登場する野球ユニフォームの多くは、セオリーから逸脱し暴走気味になりがちである。デザイナーの勝手な思い付きで、野球ユニフォームとしての形を崩されてしまうと、やりきれない気持ちになることも多々ある。
しかしファイターズの左右非対称デザインは、斬新でありながら、きちっと野球ユニフォームの枠内に収まっていたところが秀逸だった。野球ユニフォームとしての形が崩れてなかったのだ。間違いなく日本プロ野球ユニフォーム史の中でも、傑作デザインの1つと断言できる。
そんなレギュラー・ユニフォームと並んで、シンプルでスマートな黒を基調にしたプラクティス・ユニフォームも同時に発表された。練習用ユニフォームは昔から各球団に存在してきたが、1つのコンセプトでまとめたトータル・デザインの流れの中で、その形を定義して制作されるのは、初めての試みだった。
さらに北海道移転を機に制定された球団のプライマリーマーク、帽子やプラクティス・ユニフォームなどに使われる「F」のセカンダリーマークなども完成されたデザインで、ファイターズの北海道移転にかける真剣な想いが伝わってきた。
ちなみにプライマリーマークに使用された赤(感動・情熱)、青(海)、金(北の大地)は意味づけされ、新たなチームカラーとして採用されることになった。

プライマリーマーク
セ・パの格差が消えた
これらのトータル・デザインを手掛けたのは米国のスポーツ・マーケティング会社のSME社だった。
当時、この会社のクライアントとして名を連ねていたのは、メジャー・リーグではボルティモア・オリオールズ、デトロイト・タイガース、オークランド・アスレチックス、セントルイス・カージナルス、シアトル・マリナーズ、タンパベイ・デビルレイズなど。中でも特に密接な関係があったのがマリナーズだった。
ファイターズ北海道移転の5年前、1999年の7月15日に開場したマリナーズの新本拠地セーフコ・フィールド(現Tモバイル・パーク)もSME社のクライアントだった。この球場で開催された2001年のオールスターゲームはこの会社がプロデュースしていた。
スポーツ・マーケティング会社が誕生したのは、1980年代に米国プロ・スポーツ界で始まった収益拡大の動きがきっかけだ。その動きは84年に開催されたロサンゼルス・オリンピックを契機にスタートしている。
このオリンピックが画期的だったのは、赤字が当たり前だった大会を放映権料やスポンサー収入などで黒字化したことで、その陣頭指揮にあたったのが大会組織委員長のピーター・ユベロス(Peter Victor Ueberroth)である。
オリンピック終了後の10月、メジャー・リーグ機構はこのユベロスを第6代コミッショナーに招いた。ユベロスはその力をいかんなく発揮。全国放送のCBSやスポーツチャンネルのESPNと契約して放映権料の大幅な増額を勝ち取り、さらにメジャー・リーグの版権使用に関する仕組みを整備して、ライセンス収入を大きく伸ばしていくなど、多くの改革を行った。その結果、88年にはメジャー・リーグに赤字球団はなくなったとされている(諸説あるが……)。
さらに90年代になると、メジャー・リーグだけでなく、マイナー・リーグ球団の黒字化も着手された。この動きに大きく関わったのが、SME社をはじめとしたスポーツ・マーケティング会社だった。ファイターズで行ったようなイメージ戦略だけでなく、簡単に言えば、球団を自ら買収し経営して黒字化。それを新たなオーナーに売却し、その利益で別の球団を買収して、こちらも黒字化……という具合で、米国ではプロ・スポーツ事業が有力な投資案件となっていった。
そして日本ハムファイターズの北海道移転も、日本プロ野球界に大きな地殻変動をもたらすきっかけの1つとなったことは間違いない。
20世紀のプロ野球では
読売ジャイアンツを擁するセントラル・リーグに、ファイターズの属するパシフィック・リーグは人気の面で圧倒的に劣勢だった。収益、観客動員も太刀打ちできなかった。
しかし21世紀初頭の2004年にファイターズが北海道に移転し、05年には仙台に
東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生。1989年から九州に居を定めた福岡ダイエーホークス(現
ソフトバンク)を含めて本拠地が全国各地にバランス良く配置された。そしていずれの球団も地域に根付くことに努力を傾けファンを獲得、その地に溶け込んでいった。
21世紀のプロ野球では、かつてのようなセ・パの格差は姿を消している。