
イラスト=イワヰマサタカ
東急フライヤーズの球団代表を東京急行電鉄の総帥・五島慶太に任された猿丸元だが、1947年の1年間運営して、これはダメだと結論づけた。五島に「買い手があれば売ったほうがいい」と進言する。
一方、同じ47年、戦後の娯楽をリードする映画界の雄、大映映画の永田雅一社長はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に呼び出された。戦争責任を問われ公職追放になった友人たちの面倒を見ていたからだ。永田はマッカーサーの副官ホイットニー少将と面談する。苦境にある友人を放っておけない日本人の義理人情について語り、理解を求めた。そしてこの席でホイットニーから「スポーツ関係なら、公職追放者でも仕事が可能だ」という言質を得た。
ちょうど永田の元には国民野球連盟の小林次男から「事情があって
中日ドラゴンズを脱退した連中がいる。面倒を見てもらえないか」という話が来ていた。戦時下、親会社・中部日本新聞からの援助が途絶える中、球団を維持し続けたのが・・・
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