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東京・日野高時代は強豪私学に真っ向から立ち向かっていったことから「都立の星」と呼ばれ、桜美林大でその素材を大きく開花させている
支配下初の指名で、都立高出身のドラ1も史上初
さっきまでの重苦しい雰囲気がウソのようだった。ドラフト前の予想では「第1回入札」で競合すると言われていたが、
佐々木千隼の名前が呼ばれることはなかった。創価大・
田中正義と明大・
柳裕也を抽選で逃した5球団による、2度目の入札。千葉
ロッテから初めて佐々木が
コールされると、約600人の学生・学校は一気にヒートアップ。
DeNA、
巨人、北海道
日本ハム、そして最後の
広島も佐々木を入札したことを知ると、そのボルテージは最高潮に達した。「外れ1位」による5球団競合はドラフト史上初。都立高出身選手のドラフト1位指名も初の快挙で、桜美林大にとっては初の支配下でのドラフト指名である。初尽くし。抽選の結果、千葉ロッテから1位指名を受けた。
「どこからも指名されないのでは……と不安でした。ホッとしました」
実は佐々木は4年前、“必要とされていない選手”の烙印を押された経験を持つ。ある大学のセレクション、そこは佐々木にとって第一志望だったが不合格。日野高時代は「都立の星」と呼ばれ、3年夏は、準々決勝の日大三高戦で敗れるも、3回戦で名門・早実を延長13回の末に下すなど、強豪私学相手に快投を演じた佐々木にとって、ショックな出来事だった。佐々木は「あのときは自信をなくしましたね。自分はダメなのかな、と」と述懐する。それでも本人いわく「拾ってもらった」桜美林大で、再び闘志を燃やした。
成長を後押ししたのが、就任4年目の桜美林大・津野裕幸監督だ・・・
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