この男の復活を待っていたファンも多いはずだ。2010年夏の甲子園。名門・報徳学園高を1年生ストッパーとして4強へ導いた。だが、その後は周囲の期待とのギャップに悩んだが、自らでそのカベを乗り越えた。最後の秋、栄光をつかむ。 取材・文=佐伯要、写真=菅原淳 立大は1999年秋以来、リーグ優勝から遠ざかる。今春は“逆王手”まで持ち込んだが、あと1勝をつかめなかった。ラストシーズンで有終の美を飾るつもりだ
2年間の「自分探し」を経て3年春にリーグ戦初勝利
甲子園で「スーパー1年生」として注目された球児が、その後もスポットライトを浴び続けるとは限らない。立大の
田村伊知郎は、その残像に苦しんできた。
6年前の夏の甲子園。当時、報徳学園高(兵庫)の1年生だった田村は、3年生左腕の大西一成と2本柱を形成。最速144キロの伸びのある直球を軸に5試合に登板し、チームをベスト4へ導いた。
ところが、その後は本来の投球ができず、時だけが過ぎていく。翌春のセンバツには出場したものの、初戦の城南戦(徳島)で8失点して敗戦。3年夏は兵庫大会5回戦(対市尼崎高)で完封勝ちしたが、右肩痛で準々決勝以降は登板できないまま、準決勝で敗れた。田村は沈んだ表情で高校時代を振り返る。
「周りが思うほど自分はすごくないのに、期待される。それで『実力はこの程度ではない、周りが求めているレベルが本来の力なんだ』と、力量不足の自分を冷静に受け入れることができませんでした。自分がどういう投手なのかを完全に見失ってしまい、葛藤しているうちに3年間が終わってしまった……という感じです」 立大入学後も「自分探し」は続く。1年春に救援としてリーグ戦初登板を果たしたが、その夏には焦りから練習し過ぎて腰を痛めてしまう。その後も腰痛を引きずり、2年春のシーズン途中から同秋のシーズン途中までベンチを外れるなど、未勝利のまま2年間を終える。
「初めの2年間は、高校時代の自分と戦っていました。その中で腰痛もあって、長く苦しい時期が続きましたね。ただ、振り返ると自分に力がないだけ。誰が悪いわけでもない。2年間でやっとそれを受け入れられるようになりました」 3年春のリーグ戦には「自分ができることだけをきっちりやろう」と無欲で臨んだ。それが功を奏し、東大2回戦でリーグ戦初先発・初完封勝利を挙げる・・・
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