高校時代は2年夏の甲子園で全国制覇を経験。3年時も主将として中堅越えの本塁打を放ち、法大でも飛躍が期待されたが、予期せぬ“壁”が待ち受けていた。苦労を乗り越え、努力を重ね、鮮やかな復活劇でドラフト戦線へと戻ってきた。 取材・文=佐々木亨、写真=菅原淳 ラストシーズンを前に気合十分。汗を流してきた法大グラウンドで練習するのもあとわずかだが、この秋にすべてを出し切る
大きな「経験」と語れる苦しかったリハビリ
少しずつ、あくまでも少しずつ積み重ねること――。
金子凌也は自らの長所をそう語る。
あのときもそうだった。
2年夏に全国制覇を経験した日大三高時代の実績を引っ提げ、大きな期待を背負って法大に入学した3年前。金子はその1年の夏、突発的な右ヒザの痛みに襲われた。
「ヒザが通常の2倍近く膨れ上がって歩けなくなりました。病院からは手術をしないと足の切断もある。体中に菌がまわれば『死に至る』とも言われました」 検査の結果、ヒザには菌が入っていた。ただ、傷口が見当たらない。病名としては『化膿性関節炎』と診断されたが、「いまだに原因不明」だと金子は言う。とはいえ、とにかく菌を除去する手術を行った。季節は、暑さの厳しい夏だ。黙っていても体に熱がこもりやすい。術後は、菌の再発生を防ぐために患部を冷やし続ける日々を送った。
「正直、1カ月半ほどの入院生活はしんどかった」 それでも、置かれた状況を受け止め、我慢強くリハビリを続けた。そんなある日、高校の1学年上の先輩でもあり、チームメートの
畔上翔(現ホンダ鈴鹿)が病院へ見舞いに来てくれた。そして、金子は先輩から一冊の本を手渡される・・・
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