取材・文=木崎英夫 どん底からの転機に日本行きを決断
コルビー・ルイス(元
広島)とデレク・ホランドの二人が怪我で故障者リスト(DL)入りし、いよいよダルビッシュのフル稼働に期待がかかるレンジャーズだが、同チームのキャンプ施設でリハビリを担当し、故障選手の回復を手助けしているスタッフの一人が、かつて
巨人でプレーした
キース・カムストック氏(60)だ。
「仕事が増えるなぁ」
アリゾナで会った3月と変わりなく、電話越しの苦笑交じりの声はよく通る。いつもハツラツとしているその源を聞けば、「日本で頑張ったから」の答え。80年代半ばに
王貞治監督が指揮する巨人に期待の左腕として入団。異国での経験は「帰国後の野球人生を支え続けた2年間」と言い切る。では、日本での経験をひも解いていこう。

現在はMLBレンジャーズのキャンプ地でリハビリスタッフとして選手のケアを行っている(写真=木崎英夫)
76年にエンゼルスから5巡目でドラフト指名されるが、7年間はマイナー暮らし。84年にツインズで大リーグ初昇格を果たすも、登板機会は僅か4試合。伸び悩みと家族への負担を強いる薄給のマイナー暮らしを思うと、寝つきの悪い日々が続いた。が、転機はすぐに訪れた。
読売巨人軍から誘いを受け、即決。迷わなかったのは、日本流の厳しい練習で繊細な投球術を身に付ける投手が多いことを、日本でプレー経験がある選手仲間や球界関係者らから聞いていたからだった。カムストック氏は「自分を鍛え直すチャンス」と捉え、85年早々に家族とともに海を渡った。
日本流から得た意識改革でスクリューボールを再生
肝に銘じたのは「仲間を敬い自分も仲間から敬われる選手になること」。グアムと宮崎で張った春のキャンプでは、300回の腹筋も延々と外野を走ることも苦にせず、他の選手と同量の練習メニューをこなしていった。
「身も心も巨人の一選手にならなければ本当の日本野球は吸収できない」
この思いは日増しに強くなり、マイペースを貫く同僚の
クロマティからは「やり過ぎるな」と耳打ちされたことも。しかし、カムストック氏が揺らぐはずもなかった。日々寡黙に取り組む姿に周囲の目線は「お客さん扱い」から変わっていった。
当時の巨人には、好投手が何人もいた。中でも球界を代表する
江川卓と
西本聖の投球のすばらしさに驚かされ、西本からは得意のスクリューボールに磨きをかけるヒントを得たと言う。
右打者の内角へ食い込む西本のシュートは、低めを徹底的に狙っていた。聞けば「右足首を狙う」。それが打者にとっては厄介な切れを生んでいることがわかり、得意のスクリューボールをより効果的にするため、カムストック氏は左打者の軸足首を狙い何度も練習を重ねた。打者の体に近づいていく軌道のスクリューボールはこれまで左打者には使わずにいた。というのも、米国時代のコー達は「左打者は前足(右足)の膝の高さの球を打ちたがる」と口をそろえたからだった。しかし、
堀内恒夫投手コーチはこう諭したと言う。
「自信がある球なら躊躇するな」
その一言で吹っ切れた。死球への怖さも払拭。左打者のボールゾーンへと沈み、バットを誘う球へと意識が変わり、「投球の幅を広げてくれた」。そのスクリューボールで日本の打者を翻弄したのもファンの記憶に留まっていることだろう。
人間、王貞治に心酔
巨人軍の人気はものすごかった。ヤンキースやカブスの人気球団でもかなわないほど、球場は連日満杯。想像を絶するメディアの数にも圧倒された。その環境下で、時として、緊張から本来の投球を欠くこともあった。そんな時、王監督は「失敗は野球につきもの。だが、諦めることは野球にはない」と言われた。この経験があったからこそ、米国に戻ってからも周囲からの重圧に屈することもなかった。そして、もう一つ、大切なことを学んだ。ある日のことだった――。
敵地での試合を終え、チームバスで定宿に着き食事を済ませ外に出ると、警備員に見守られた王監督が笑顔でファンからのサインに応じていた。ホテル到着から2時間近くが経過してもいっこうに止める気配はない。その姿に心を打たれたカムストック氏は「自分も最後の一人までサインをしよう」と誓った。
日本流に自らを染め抜いたカムストック氏は「心・技・体で以前とは違う自分になった」。その自信を胸に、87年に大リーグ復帰を果たし、以後、91年のシーズンで引退するまで貴重な中継ぎ左腕として活躍した。
カムストック氏には「墓場まで持っていく」と、大切にしている王監督からの贈り物が2つある。一つは、“Sultan of Swat”――ベーブ・ルースと同じ王貞治の米国での異名――の文字が入れられた黄金のカフスボタンだ。「アメリカでもいい投手でやれたらプレゼントをする」の約束を王監督は忘れなかった。そしてもう一つがこの言葉だ。
“Shoot the moon you are in the stars.”
「大きな目標を定め、失敗を恐れずにやれば、輝ける星のように他とは違った存在になれる」
誰よりも本塁打を放った恩師は、詩情あふれる言葉で背中を押した。
最後は、少し声を詰まらせたカムストック氏。60歳を過ぎた今、王監督はじめ、当時の仲間達に再会できる日を心密かに待ち続けている。