モスコーソは生まれてくる愛娘のミドルネームに「さくら」をつけるほどの日本びいきだ。そんな“ジーモ”は、自分をこの道に導いてくれた亡き父への思いを胸にマウンドに上がる。ニッポンを愛する助っ人・右腕の知られざる横顔をお届けしよう。 写真=大賀章好、栗山尚久 
今季初登板となった3月30日の巨人戦は7回3失点と粘り、初勝利を挙げた
故郷ベネズエラの記憶、最愛なる父との別れ
野球ができる喜びを噛みしめ、日本人顔負けの熱いハートを搭載している。来日3年目を迎え、ギジェルモ・モスコーソのスタイルは定着してきた。ピンチでスイッチを入れ、抑えれば雄たけびを上げて闘争心を表現。
「32歳になるし、野球選手として若くないことは自分でも分かっている。1日1日を大事に、どれだけベストを尽くせるかが大事。彼がいなければ、野球をしていなかったかもしれないから……」 DeNAの先発ローテーションに欠かせない右腕。どこかに視線を感じながら、まっさらなマウンドに立っている。
名前は自分と同じ。2011年2月、74歳で亡くなった実父・ギジェルモさんのことだ。故郷・ベネズエラでの記憶。
「6、7歳のころに、初めて野球場に連れて行ってもらった。野球を始めるきっかけを与えてもらった」と振り返り、少し苦笑いした。
「当時のボクはとにかくイタズラ好きで、どうしようもなかったと思う。とてもじゃないけど、一般的に言う『いい子ども』ではなかったね……」 親心からか、何か目標を持ってもらいたかったのだろう。初めてボールに触れ、おぼろげなから自身の進むべき道が見えた気がした。
2人の姉と兄を持つ、4人兄弟の末っ子。体格に恵まれ、もともとの身体能力も高かった。やんちゃ坊主にとって最初はエネルギー発散が目的。学校に通いながら、多ければ週5日の練習で基礎技術を身につけた。楽しみは週末に組まれた試合。気持ちに変化が生まれるようになった。
「野球選手になりたい」。外野手、内野手、捕手とすべてのポジションを経験した。頭角を現し、最終的に評価を得たのは投手として。野球の楽しさを味わっていくうちに「メジャー・リーガーになりたい」と夢を大きくふくらませた。
有言実行。厳しい環境で歯を食いしばり、鍛錬を積んだ。03年にアマチュア・フリーエージェントでタイガースと契約。大きな扉をこじ開けた瞬間だった。
「アメリカで野球を始めてからは、ベネズエラの実家に帰る機会は少なくなった。それでも彼の存在が頑張る原動力になったね。どんなときでも、応援やサポートし続けてくれていたから」 08年12月にレンジャーズへのトレードを経て、メジャー・デビューは09年。実に6年を費やす苦労人にとって「いつも自信を与えてくれた」と父の存在が力になっていた・・・
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