
文=平野重治
第3次安倍再改造内閣がスタートしたが、新閣僚の中に山本姓が3人もいたのが面白かった。山本公一(環境、原子力防災)、山本有二(農林水産)、山本幸三(地方創生、行政改革)の各大臣だ。「一、二、三」の番号順の並び大名(失礼!)というのも面白い。さらに、出身大学が、公一氏が慶大、有二氏が早大、幸三氏が東大ときては、安倍首相、参院選に勝ってうかれ気分で、人事で“お遊び”をやっちゃったのかも(そんなことは絶対ありません)。
プロ野球の世界の大臣である監督にも山本姓は結構いる。ただ、同時期に3人の山本監督が指揮を執ったのは残念ながら(?)ありません。それでも2人が同時期というのはあった。
広島の
山本浩二監督と
ロッテの山本巧児監督が、リーグは違うが、99年から03年までともに指揮している。名前の読みが、ともに「
コージ」なのも面白い。ロッテにはもう1人山本監督がいる。82~83年の
山本一義監督だ。3監督とも、プロ野球ファンにはおなじみの方々で、浩二監督は、ご存じ“ミスター赤ヘル”。巧児監督は、
巨人、ロッテで活躍。鮮やかな一塁守備が記憶に残る。一義監督は、広島の75年の“赤ヘルV1”時のチームリーダーで強打の外野手。この優勝で、心置きなく引退した。
さて、プロ野球には、もう1人の山本監督がいる。その名は
山本一人。現代のプロ野球ファンは「その人だれ?」かもしれないが、鶴岡一人と書けば、だれでも知っているビッグネームだろう。実は鶴岡監督、1946年から58年までは山本姓だった。23年の監督人生(プレーイングマネジャー時代も含む)のうち山本姓で13年だから、鶴岡監督より、山本監督のほうが長いのである。戦績も山本時代のほうが筆者には華々しい。46年のプロ野球再開年に優勝。MVPと打点王。48年、51年のVでもMVP。51年からはパ・リーグ3連覇の偉業。鶴岡姓に戻った59年に初の日本一となり、64年には2度目の日本一も、晩年は
川上哲治監督の巨人と
西本幸雄監督の阪急に押さえつけられた印象が強い。写真は55年の日米野球での山本監督(左)と巨人・
水原茂監督。直前の巨人との日本シリーズでは3勝1敗と王手をかけながら敗れてしまった。