送りバントをしない二番、はしりは05年の鳥谷よ

4月5日の巨人対阪神戦の1回裏、巨人はチームで一番当たっている二番の立岡に送りバントのサインを出したが、受けに回っている感じがした。二番は状況に応じた打撃が必要なんよ
プロ野球は開幕して2週間、ひととおりすべてのチームとの対戦が終わったころです。スタートダッシュを決めたチーム、スタートが鈍ったチームと、悲喜こもごもやが、始まったばかりで、まだまだ、どうこう評価することができない段階。だから今週号は、こういうテーマで書いてみることにした。「二番打者論」ということ。最近、二番打者の存在が、が然、クローズアップされているからや。二番バッターといえば「バント」が連想されるが、例えば昨年のセ・リーグ優勝の
ヤクルトでは
川端慎吾が二番に入り、バントをしない二番……として話題になり、川端は首位打者を獲得した。これが「超攻撃型二番」として認知され、ほかの球団も、川端タイプの二番を登用。これが現在の球界のトレンドになっているようやな。
さて、オレが二番打者として、すぐに思い出すのが阪急時代の
大熊忠義さんやな。一番・
福本豊、二番・大熊の名コンビで有名だったが、とにかく福本さんの出塁率が高い。いきなり塁に出て、そこから盗塁よ。これを大熊さんは打席で助け、二塁に進んでから、送りバントや進塁打で三塁に進める。そこからクリーンアップが犠飛などでかえすパターンが多かった。ノーヒットで1点というのが、当時の阪急の定番だった。その時代、大熊さんの黒子に徹した働きは、プロ入り前のオレも、すごいな……と感じていたもんね。
1985年、阪神が日本一になったシーズン。二番を打っていたのは
弘田澄男さんやった。一番が
真弓明信さんで二番が弘田さん。そこからバース、
掛布雅之(現二軍監督)さん、オレと続く打線なんやけど、とにかく打って、打って、打ちまくったという印象が強いと思う。けど、二番・弘田さんは送りバントを多く決めているんやね(23犠打)。真弓さんもそうそう盗塁するタイプでなかったし、真弓さんが出塁すると、当時の
吉田義男監督は送りバントを多用し、そこからクリーンアップでかえす作戦を多くとっていた。当時の打線はイケイケのイメージが強いけど、先制点を取るために細かいことをやっていたわけ。弘田さんの二番は、絶品やった。
ということで、二番のイメージは、だいたい決まっていた。いかにも職人という感じで、黒子に徹し切る選手が任される打順。大熊さん、V9時代の巨人の
土井正三さんに代表されるタイプなんよね。まあ、いまの球界にはほとんどいなくなったタイプよ。
オレが阪神の監督をやっていた時代、二番打者で思い出すことがある・・・
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