球団名がDeNAと変わった11年12月、初代監督に就任したのが、中畑清だ。98年以来、優勝から遠ざかり、06年から10年連続Bクラス。中畑が監督をした昨季までの4年間も6位、5位、5位、6位と低迷から抜け出すことはできなかったが、チームもファンも、確実に“いま“につながる手ごたえをつかんだ4年間でもあった。 文=永瀬郷太郎(スポーツニッポン特別編集委員) 
昨シーズンの10月3日、横浜スタジアムの最終戦セレモニー。中畑“監督”は球団からの慰留にもかかわらず、自らユニフォームを脱ぐ決断をした
四番・筒香を“育てる”
DeNAが初のCS進出を決めた9月19日、東京・調布市の自宅で
広島戦[横浜]をテレビ観戦していた前監督の中畑清は勝利の瞬間、両の拳を固めた。
「うれしいじゃないか。4年間監督をやらせてもらった球団に、これで少しは恩返しできたかな。そんな気分にさせてもらってるよ。みんなに“おめでとう”と“ありがとう”を言いたいね」
偽らざる心境だった。
DeNAがTBSから球団を買収した2011年の12月、4年連続最下位にあえぐベイスターズの監督に就任。「最後まで絶対にあきらめない野球」を訴え、若手を育ててきた。今年の戦力は
今永昇太、
戸柱恭孝の新人バッテリー、新外国人選手を除いて、すべて中畑が愛情を注いできた選手たちである。
その代表格が
筒香嘉智だ。「熱いぜ!」をスローガンに掲げて船出した就任1年目の2012年、将来の四番と見込んだ入団3年目のスラッガーは故障で出遅れたが、5月に合流すると三番に抜てき。六番に下げたこともあるが、ほとんど三番か五番で使い続けた。
108試合に出場して打率.218、10本塁打、45打点。順調な第一歩に思えたが、2013年は故障もあって大半を二軍で過ごし、わずか23試合、打率.216、1本塁打、3打点の成績に終わる。
中畑はここで荒療治を施した。鹿児島・奄美大島で行われる秋季キャンプのメンバーから筒香を外したのである。
「進歩するどころか退歩している。このままじゃ終わってしまう。気づかせるには今しかないと思ったんだ」
これに対し、筒香は今年の沖縄・宜野湾キャンプ中に行われた対談で「自分におごりがありました。あのとき、中畑さんにガツンと言われてなかったら、今もまだ気づいてなかったかもしれません」と語っている・・・
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