歴代の強力打線を振り返りながら、「史上最強打線」を選んでみよう。もちろん、独断と偏見まみれ。異論は多いと思うが、ご勘弁いただきたい。 
せっかちな印象もある長嶋監督だが「松井四番」には我慢しまくった
戦前戦中は
巨人、
阪神打線が強力だったが、特に異名的なものはなく、戦後48年、ラビットボール(飛ぶボール)を採用した当時の阪神『ダイナマイト打線』が先駆だろう。
藤村富美男、
別当薫を軸とした超豪快打線だ。50年には松竹が『水爆打線』と呼ばれた。その後、50年代屈指の強力打線を誇ったのが
川上哲治、
与那嶺要、
千葉茂らがいた巨人だったが、やはり異名らしきものはない。56年から3年連続日本一となった西鉄は『流線型打線』と言われ、つなぎの印象があった二番に強打者の
豊田泰光を据え、ライバル・南海は、
野村克也、
穴吹義雄らを擁する『400フィート打線』で売り出した。
60年代に入ると、大毎が『ミサイル打線』、
三原脩が新たに監督となった大洋が『メガトン打線』と呼ばれたが、V9時代の巨人には異名はない。『ON』、
王貞治、
長嶋茂雄の印象が強かったからかもしれないが、攻守走にバランスが取れ、黄金時代を築き上げたチームではなく、打線が特出した時期のほうが異名も誕生しやすいようだ。70年代には、75年に赤いヘルメットの
広島が初優勝。『赤ヘル打線』と呼ばれ、これは今も続く。『猛虎打線』、『強竜打線』もオールタイムだ。
80年代では85年日本一となった阪神の『新ダイナマイト打線』があるが、やや取ってつけたようなネーミングか。命名時期に諸説ある近鉄の『いてまえ打線』も定着。息の長いニックネームとなる。
90年代に入り、強力打線を誇った
日本ハムの『ビッグバン打線』もあったが、何と言っても98年横浜の『マシンガン打線』が秀逸。打ち出したら止まらない打線と名前が一致していた。その後も、さまざまな打線名が登場したが、定着したとは言い難い(打線の力とは関係ない)。
打線を“育てた指揮官”についても触れてみたい。まさに一から育て上げた人物が
西本幸雄監督だ。阪急では一番・
福本豊から始まる打線、近鉄でも
佐々木恭介、
栗橋茂らを擁する打線を、鉄拳を振るい、情熱を注ぎ築き上げた。誤解されることも多いが、第2期長嶋茂雄監督の打線にかける情熱もすさまじいものがあった。93年ドラフト1位で獲得した
松井秀喜の『四番1000日計画』を打ちだし、ある意味、
落合博満、
清原和博らを獲得したのも、松井を本物の四番に育てるためだった。「ほしがり病」と揶揄されながらも他チームの四番打者を豊富な資金力を背景にかき集め、時には非情に切った。
途方もない金が動き、取って切ってを繰り返し誕生したのが、2000年の『ミレニアム打線』だ。四番には松井が定着。数字だけを見たらもっと打ちまくった打線もあるが、
高橋由伸、松井、清原がそろったこのときの打線こそ、“史上最強”の冠にふさわしい。対抗馬はダイエー・
ソフトバンクの監督・王貞治が育てた
松中信彦、
小久保裕紀らを擁するホークス打線だ。こちらも豊富な資金と指揮官の情熱から生まれた打線だった。