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特集・追憶の夏甲子園

中日・小笠原慎之介インタビュー “相模の小笠原”から“中日の小笠原”へ

 

昨夏、聖地のヒーローとなったのは、スピードスターでも屈指のスラッガーでもなく、この剛腕サウスポーだった。真紅の優勝旗を手にした男が、1年前の激闘を振り返る。
取材・構成=吉見淳司、写真=前島進、BBM



練習ではケンカ腰、マウンドでは背中で語る


──フレッシュオールスターは見ていましたか。

小笠原 見なかったですね。選ばれていないんだったら自分のことを優先したほうがいいなと思っていたので。

──オコエ(瑠偉、楽天)選手や平沢(大河、ロッテ)選手と一緒に出場したかったという思いは。

小笠原 いや〜、特にないですね。

──3年夏の甲子園ではオコエ選手がいた関東一高(東東京)、平沢選手がいた仙台育英高(宮城)を下して優勝しましたが、神奈川を制した時点で、体はかなり追い込まれていたそうですね。

小笠原 甲子園まで投球練習は一切しなかったですね。初戦は絶対に先発じゃないなと分かっていたので、抽選会まではキャッチボールや遠投だけでした。

──チームメートと「どこまで勝ち進みたい」と話したことは。

小笠原 あまりしゃべらなかったですね。後輩とずっと、僕が引退した後のチームのことを話していました。「俺らが引退したら頑張れよ」とか。

──自分の世代よりも次の代を気にしていた。

小笠原 先輩として、後輩には自分たちよりもうまくなってほしいとは思いますよね。もちろん僕も、背番号1を背負わせてもらっていたので結果を残さないといけない立場だったんですけど・・・

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