金本新政権の代打の切り札として、その瞬間をベンチでじっと待っている。2001年高卒でプロ入りし、ケガと育成降格という屈辱も味わった。そこを乗り越えることができたのは、仲間の支えと野球しかないという強い気持ちがあったからだ。 文=酒井俊作(日刊スポーツ)、写真=早浪章弘 二軍選手である前にプロ野球選手であれ
額縁に収まるヒーローは、ひときわ輝いていた。一塁ベースを回ったところで両腕を広げてガッツポーズしている。背後からはナインが笑顔で駆け寄ってくる……。群馬の実家に帰省すると、いつもリビングに飾られた1枚の写真に目を留める。あれから、ずいぶん時がたった。もう9年前だ。だが、脳裏をよぎるのはみずみずしい思い出ばかり。まるで、いますぐ、そのまま動きだしそうなほど鮮明に、そして強烈に、
狩野恵輔の野球人生を彩るワンシーンだ。
2007年4月20日、甲子園の
巨人戦は延長へ。最後の12回裏、3点差を追いつき、なおも二死満塁。ここで代打起用された。プロ通算で8打席目。
豊田清の低いフォークをすくうと左翼線へ。7年目でのプロ初安打でサヨナラを決めると、背後からはナインが笑顔で駆け寄ってくる。二塁走者だった
金本知憲は「狩野!!狩野!!」と絶叫しながら激しく抱擁する。普段はクールな
鳥谷敬も抱きついてきて「オレ、人が打ってこんなに喜んだことないわ!!」とおどける。家に帰ると、今度は、携帯電話のメールが鳴った。「おめでとう。すごくうれしかった」。正捕手の
矢野輝弘(現・燿大)からだった。
今年、キャリアは16年目に入り、33歳になった狩野は言う。
「夢のような時間でした。打った瞬間にね。いままでの人生で一番、良かったかな、あれが。12回だから、ベンチにみんないるんですよ。ブルペンの投手も全員いる。後ろからみんなが走ってきて、喜んでいるのを見て、この写真、すごくいいなってね」 04年に一軍デビューしてから3年間は安打なし。4年かかった念願の一打だった。このワンショットは、野球人生そのものだ。周りには、いつも同じ志を持った仲間がいる。パンチ力を買われて、前橋工高から高卒でプロ入りした。1年目は二軍戦25試合に出場しただけで15打数1安打。2年目も3年目も一軍と無縁だった。それでも、堂々と胸を張ってプレーする。眼光鋭く、ふてぶてしく、殺気すら感じさせた。胸に深く刻む言葉そのままに振る舞った。
プロ野球での初安打がサヨナラヒット。ここから順風満帆の野球人生が始まると思っていたが……
「絶対に二軍慣れするな。二軍に慣れてやっていたら、いつまでたっても二軍でしか結果が出ない。常に一軍でやれると思ってやれ。一軍のことを考えてやらないといけない」
この教えを聞いたのは、まだ高卒2年目のころだ。一、二軍を何度も行き来していた若き日の
藤川球児が力説していた・・・
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