電撃トレードでメジャー球界の盟主であるヤンキースでプレーすることになったイチロー。勝利を義務付けられた軍団の中で、心地よさも味わいながら徐々に、スタメン機会も減り苦悩を味わうことになる。2012年7月23日の電撃トレードでの記者会見は、先にマリナーズ、そしてヤンキースと1会場で2球団の選手として会見した 文=水次祥子、写真=Getty Images 
2012年7月23日の電撃トレードでの記者会見は、先にマリナーズ、そしてヤンキースと1会場で2球団の選手として会見した
勝利至上のチームの中で違うエッセンスを与える
2012年7月23日、マリナーズ本拠地、セーフコ・フィールドで起こった電撃的で一風変わった移籍劇だった。イチローが、11年半慣れ親しんだマリナーズからヤンキースに移籍するという情報が流れたのはアメリカ西海岸時間の昼ごろだったと記憶している。突然のトレードだった。
球場に行くと、イチローは会見場に姿を現した。スーツに身を包みマリナーズの球団幹部とともに登場すると、終始引き締まった表情で感謝の言葉を噛み締めるように口にし、マリナーズの一員としての会見を終えると、その場で今度はヤンキースの球団スタッフとジョー・ジラルディ監督が入れ替わりで登場し、ヤンキースの入団会見を行うというものだった。ちょうど対戦中の相手にトレードされホームだった選手がビジターに入れ替わったりその逆になったりということはメジャーでも過去にあったが、同じ会見場で1日に2つの球団の選手として会見を行うというのは異例だった。
イチローはその日から移籍後12試合連続安打を記録し、その連続安打の間、7月30日のオリオールズ戦ではメジャー通算100本塁打となる移籍1号のソロを放った。その年は67試合に出場し、移籍後は打率.322、5本塁打、27打点、14盗塁でプレーオフ進出に貢献。メジャー1年目の01年以来、11年ぶり2度目のシャンパンファイトも経験した。ポストシーズン期間中、こう語ったことがあった・・・
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