オレのときの模擬会議指名は「阪急」やったけど……
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高校生No.1として推していた履正社高の寺島はやはりドラ1でヤクルトに指名されたな。これからは、寺島の成長を見守りたいと思っているんよね/写真=BBM
ドラフト会議か……。もうそんな季節になったわけやね。やっぱり思い出すよ。あの瞬間の感情は、ホンマ、何とも言いようのないもんやった。
まずはオレのドラフトに関する話を書く。1979年11月。東京・九段のホテルで開かれたこの年のドラフト会議は、果たして「岡田が何球団に1位指名を受けるか」が注目されていた(プチ自慢だけど、これは本当の話)。実際、会議の前にはほんとんどの球団から「指名しますから」というような挨拶を受けていた。
小さいときから野球を志し、親父(勇郎氏)の夢でもあったプロ野球へ、目標は定まっていた。早稲田大学に進んで、それは現実のものとして感じられ、常にプロ野球を前提に物事を考えていた。その結果、多くの球団から1位指名確約の連絡を受け、オレは運命の日を待った。
腹は固まっていた。どこに指名されても行く。それしかないと考えていた。そんなとき、確かドラフト前日やったかな。テレビで模擬ドラフト会議……という番組があったわけよ。そのとき、6球団が競合し、クジ引きの結果、どこに指名されたのか?「阪急」やったわ。「へー、阪急なんや」と大学の同期とテレビを見ながら、妙な気分になったことを覚えている・・・
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