同期のライバルと切磋琢磨を続け、7年目の昨季はチーム最多のスタメンマスクでリーグ優勝に貢献。“正捕手”まであと一歩に迫りながら、再び高い壁が現れた。それでも、あきらめるつもりはない。強い信念を持って、歩みを進めていく。 文=北川修斗(スポーツライター) 写真=桜井ひとし、川口洋邦、BBM 司令塔の重み
「正捕手」というイスは一つしかない。ほかの野手とは違い「グラウンドの現場監督」や「扇の要」と表現される。内野手なら4つ、外野手なら3つ。違いがあれど、選択肢はあるが、捕手にはない。その茨の道を、地道に一歩一歩、着実に進み、「正捕手」をつかみかけた岸田行倫にまた一つ、高い壁が現れた。
ソフトバンクから国内FA権を行使し、移籍してきた
甲斐拓也だ。
常勝軍団のソフトバンクで長く正捕手を務め、東京五輪、2023年ワールド・ベースボール・クラシックの優勝にも貢献。球界屈指の捕手を、自身も現役時代に捕手だった
阿部慎之助監督が熱望して獲得に動いた。7年目の昨季はチーム最多となる72試合で先発マスクをかぶり、今季が正捕手の地位を確固たるものにするための勝負の1年だった背番号27にとって、あまりにも大きな試練となった。
「プロなので新しい人が入ってくるのは毎年そうなんですけど、去年ああやってある程度試合出られての今年は、やっぱり思いはちょっと違う。また厳しい戦いというか、毎年なんですけど、より高い壁が来るなって。我慢強くやることが大事だと思っています」 24年は飛躍の1年だった。自己最多の88試合に出場し、チームの4年ぶりとなるリーグ優勝に貢献。盗塁阻止率.475はリーグトップを記録した。
戸郷翔征のノーヒットノーラン(5月24日の
阪神戦、甲子園)や、9月の最終盤までもつれた優勝争いの中でマスクをかぶったことが自信になった。
そして、試合を任されるからこそ実感することがあった。
「キャッチャーって、試合になったら“監督”と言うじゃないですか。でもそれって、やっぱりちょっと試合に出ただけじゃ分からないんですよ、そういうのって。出始めは周りも見れへんし、自分に必死なんで。去年はあれだけ試合に出させてもらう中で、段々と『これ、チームの勝敗を背負ってるな』ってめっちゃ感じるようになって。やっぱり勝ち負けもそうですし、ピッチャーもリードしてっていうところで、勝ってるときは全然しんどくないんですよ。やっぱり負けが続いたりすると、気持ち的に何か落ちるときがあった」 勝敗の責任が重くのしかかるポジション。その事実をあらためて体感した。試合を重ねていくにつれ、経験を積み、自分のことだけで精いっぱいにならなくなったからこそ分かった。
「充実感はすごかった」。重みを知り、やりがいもまた、知った。それが7年目のシーズンだった。
堅実でバランスの取れた捕手。それが周囲の岸田評だ。だが、意外にも兵庫の名門・報徳学園高では最初、内野手でベンチ入りしていた。捕手転向は自分たちが一番上の代になってからと、捕手歴は短い。それでも、正捕手として3年春のセンバツに出場するなど、順調に成長を重ねた。3年夏の甲子園出場こそ叶わなかったものの、U-18日本代表に選出。
「夏の甲子園にも出てなかったし、まったく選ばれると思ってなかった。トッププレーヤーの集まりの中で野球をやれたことも、三番打者として試合に出て、それなりに結果を出せたこともすごく自信になった」。今もともに巨人でプレーする
岡本和真と三、四番を形成。ソフトバンク・
栗原陵矢らと日の丸を背負って戦った。
ライバルとの歩み
プロ志望を掲げていた岸田は、大学進学ではなく、最短3年でプロに行ける社会人野球に進んだ。U-18日本代表の経験を経て、自信を持って大阪ガスに入社。だが、最初はレベルの高さに圧倒された。
「このままじゃきついなって感じた」。ついて行くのがやっとの中で、必死にもがいた。きっかけをつかんだのは・・・
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