昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。今回からは内外野を守るユーティリティープレーヤーとして大洋・横浜、ロッテで17年間プレーした高橋雅裕さん。まずは名古屋電気高時代から大洋入団までを振り返ります。 文=落合修一 
高橋雅裕
行く気がなかった名電高へ進学
──生まれは愛知県なんですよね。
高橋 名古屋市北区です。ただ、小学校1年のときに父親の仕事の関係で豊明市に引っ越しました。その後も引っ越しているので、小学校は3つ行っています。
──野球を始めたのは?
高橋 幼稚園か小学校1年ですね。名古屋にいたころ、すぐ近くに川があって、そこの河原で親とか兄貴とキャッチボールしたのが始まりだったと思います。顔にボールをぶつけて、鼻血を出して土手で寝ていた記憶がありますよ。
──少年野球のチームには?
高橋 小学校のときに「うまいから入れよ」と誘われたことがあって。別にやりたくなかったんですけど、うまいからと言われたら悪い気はしないじゃないですか。それで入ったら、試合でエラーして「おまえのせいで負けた」って言われたんです。
──それは厳しいですね。
高橋 「やめます」って(笑)。こっちは入れてくれと頼んだわけじゃないので、文句を言われてまでやりたくない。何の未練もなくやめました。遊びで野球をやっているほうが楽しかったですね。
──中学では野球部ですか。
高橋 豊明中の野球部に入りました。中学になると部活動に入らないと野球ができないですから、もう野球一択です。最初は一塁を守って、そのあと捕手になりました。
──一塁とは意外です。
高橋 王貞治さん(
巨人)が好きだったんですよ。それで一塁をやっていたら正捕手が骨折して、「肩がいいからキャッチャーをやれ」と。
──そこから名古屋電気高(現愛工大名電高)へ進みます。
高橋 僕、名電へ行く気は全然なかったんですよ。大府高へ行きたかったんです。1年上の・・・
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