
写真は4月1日の西武との開幕戦[西武]の初回、NPB初打席で満塁本塁打を放ち、三塁コーチャーズボックスの王貞治監督[左]とハイタッチ[三塁手・鈴木健]
「チームのためにプレーして勝つこと」
1994年8月、サラリーキャップ制の導入を巡り、大リーグで選手たちによるストライキが勃発した。残りのシーズン全試合が中止となり、ワールド・シリーズも行われなかった。争いは長期化した。オフを迎えても騒動は収まらなかったのである。翌年のシーズンがどうなるのか。見通しは不透明だった。
その影響を受け、本来ならば大リーグでプレーしただろう一流選手が、試合を求め太平洋を渡った。94年、規定打席未達ながら打率.333、15本塁打を記録した
シェーン・マック(
巨人)、来日時点で通算安打1922本を誇った
フリオ・フランコ(
ロッテ)らがそうだ。彼らの来日は大きな話題を集めた。だが95年3月、それすら吹き飛ばす「超大物」が、福岡ダイエーホークス(現
ソフトバンク)に入団することが決まった。
ケビン・ミッチェル、33歳。サンフランシスコ・ジャイアンツ時代の89年に47本塁打、125打点を叩き出す活躍で本塁打王と打点王のタイトルを獲得し、MVPにも輝いた強打者である。94年もレッズで打率.326、30本塁打を記録。一流中の一流が、NPB入りを果たしたのだった。
3月13日、福岡市内のホテルでミッチェルの入団会見が行われた。
「レジェンドでもあるサダハル・オーの下でプレーできるのはうれしい」
そう語ったミッチェルは・・・
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