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野球浪漫2024

中日・勝野昌慶 天国に届けた158キロ「僕にセンスはない。だからこそ三浦さんたちとつくってきた。そういう自負はあります」

 

当時は、それほど深く考えてはいなかった。しかし現在は、あの出会い、あの教え、あの日々、それらがあったからこそ、今があると断言できる。自己最速158キロの原点を忘れたことはない。
文=土屋善文(中日スポーツ) 写真=BBM

中日・勝野昌慶


「原気塾」での思い出


 その瞬間、あの人の存在を近くに感じた。

 2024年4月2日の巨人戦(バンテリン)。同点の8回から二番手でマウンドに上がると、一死から岡本和真に左前打を許したところで、スイッチが入った。坂本勇人を自己最速を2キロ更新する157キロ直球で右飛に打ち取ると、続く大城卓三へのカウント2-2からの6球目だった。外角高めに外れたボールが158キロを計測。フルカウントから外角のフォークで二ゴロに仕留めて、開幕から3試合連続無失点。22年に高橋宏斗がマークした球団日本人最速記録に並んだ。

「158出たときに、パッっと思い浮かんだんです。三浦さんのことが」

 13年の春のことだった。岐阜県立土岐商高1年だった勝野は工藤昌義監督の勧めで、同県中津川市にある鍼灸院兼トレーニング施設に向かった。その名も「原気塾」。地元出身の三浦雅彦さんが1990年ごろに開業した。妻の哲子(のりこ)さんが当時を振り返る。

「もともと主人は空手やボクシングをやっていました。トレーニングをするのも好きでね。でもボクシングの減量で体を壊して、そこから独自に調べてメニューを組むようになりました」

 勉強家にして研究家。本を読んでは実践し、どの組み合わせがベストか追求した。開業時はジムがメインだった。気が付けば12畳半の部屋に所狭しと人が集まり、三浦さんが考案したメニューをこなすようになった。野球、レスリング、陸上など種目別にトレーニング方法も変えた。哲子さんは「一人ひとりの体を見て、この子はここが弱いからこれをやらせるとか、その人に合うものは何かということをずっと考えていました」と振り返る。

 気が付けば、岐阜の高校球児にとって知る人ぞ知る“虎の穴”になっていた。過去には中京高時代の松田宣浩(元ソフトバンクほか)や城所龍磨(元ソフトバンク)らプロ入りした選手も多く通っていた。土岐商高の野球部とも昔からの付き合い。勝野にとってはトレーニングの原点とも言える場所だ。

「とにかくウエート・トレーニングを大切にしていた。レッグレイズから始まってヒップエクステンション。足に重りをつけて四つんばいになって尻のトレーニングとか。肩もダンベルで鍛えていましたね」

 入学時は球速が130キロにも満たなかった。それでも三浦さんは勝野の素材を見抜いていた。

「その体があれば、絶対に155キロ出るって言ってくれていた。そのときは本当かなと思っていたけど」

 それから毎週のように通った。針の腕も抜群だった。

「どこか痛くてもすぐに治った。すごかったです」

 魅力はそれだけではなかった。哲子さんがお腹を空かせた勝野たちに手料理を振る舞ってくれた。「ご飯がめちゃくちゃおいしかった」と哲子さんの作る食事が一番の楽しみになっていた。

「肉じゃがとかスパゲッティとか本当においしかった。丸刈り頭の高校生が何人も来て待ち時間もうるさかったと思うし、迷惑だったと思う。それでもご飯を食べさせてくれたり、励ましてくれたり。三浦さんはムチャクチャ優しかったし、しゃべるのが大好きだった。ここが高校時代の一番の思い出の場所かもしれない」

 家でも学校でもない“場所”があることに何度も救われた。勝野は・・・

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