人の上に立つことは、覚悟と決意がなければ務まらない。左胸に光る“Cマーク”ににじむ気概。苦い過去も、歓喜の瞬間も知る男が私利私欲を捨て去って、太く、頼もしい支柱となり始めている。 写真=佐藤真一 思考が変わり
自らの意思で新たな道へ進んだ。常に厳しい目で見られ、すべての行動に責任が伴う。頓宮裕真には素直な思いがあった。
「去年の成績では、そういう立場にはいられないと思った。去年は5位。ズルズル行くと、また弱いチームに戻ってしまう。岸田(岸田護)監督に代わって、チームも僕自身も変わらないといけない。自分を変えて、優勝に導きたい。そういう気持ちを込めて、自分から志願しました」 プロ7年目、28歳。決意の主将就任だった。球団では2019年の
福田周平を最後に、当初は予定していなかったポジション。しかし、昨年11月に参加した高知での秋季キャンプで、湧き上がるものがあった。
「チームをどうすべきか」──
同じ1996年生まれの
宗佑磨や
中川圭太とともに真剣に意見を交わす。
「このままではダメだと思った」と岸田監督、そして球団へ直訴した。亜大4年時に経験しているキャプテン。「成績を出すことも大事ですけど、誰にでもできるのは『声』の部分。常に声を出して、先頭に立って引っ張っていきたい。岸田監督やコーチ、裏方さん。サポートがなければ、僕らもグラウンドでプレーができない。皆さんが報われるように、しっかりと恩返しをしたい」と、覇権奪回への歩みを始めた。
「去年まではどうしても、結果ばかりにこだわっていた。打てないと、ベンチで怒ってしまったり。でも、見ている人にとって、残るものは記録よりも記憶のほうだと思う。できるだけ、そういう姿は見せたくない。シーズンは長いので、見せてしまうことがあるかもしれないけど……」 昨年は打率.197。打率.307で首位打者に輝いた一昨年から、まさかの不振に苦しんだ。
「この2年でいい思いも、悪い思いもしましたね」。昨季は開幕四番を勝ち取ったが、5月17日に出場選手登録を抹消。不振によるファーム再調整は3度に及んだ。食事をしても「おいしいと感じることが少ない。これって、メンタルなのかな……」と漏らし、体重も3kg減の99kgに。一切の揚げ物を断っていたこととも関係するが、寝付きも良くなかった。絵に描いたようなどん底。チームで寄り添ってくれた一人が森友哉だった。森自身も19年に打率.329で首位打者のタイトルを獲得。だが、翌20年は打率.251まで下降した。「もし調子を落としたとしても、去年の映像を見て、そこに戻そうするのは良くない。その時と今の体は違う。良かったときに戻ろうとしてはいけない」。1学年上の先輩捕手が伝えてくれた経験談。「練習しかない」と前を向かせてくれた。
思考が変わり、視界も開けた。「周りは見ているからね」──。昨季限りで現役を引退した
安達了一(現一軍内野守備・走塁コーチ)に掛けられた言葉も思い返した。
「まず全体が始まるのがアップ。そこから引っ張っていきたい。朝のアップから声を出すことを目標にして、そこを頑張ろうと思った」 今年2月、宮崎での春季キャンプは、毎朝6時に起床。温浴施設で体を起動させることから1日をスタートさせた。いつも顔を合わせ、会話をするのが選手会副会長の
山田修義だった。狙いは投手陣の空気も感じとるため。グラウンドでは有言実行し、立ち位置は先頭。常に大きな声を響かせた。投手主将は
阿部翔太。正式な肩書はないが、宗や中川が副主将的な役割でサポートをしてくれた。
「ありがたかったし、うれしかった」と感謝したのが・・・
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