高卒5年目の昨季、「ライト」への挑戦も功を奏し、飛躍へ向けた確かな手応えを得たはずだった。大きな期待を受けて迎えた6年目のシーズン、待っていたのは思わぬ停滞、試練の時──。それさえも糧に、チームの次代を担うべく、一歩ずつ着実に前へ進み続けていく。 文=榊原隼人(スポーツライター) 写真=川口洋邦、榎本郁也、BBM 「ライト」での飛躍
多くのファンが思い描いていた理想とは、少し違ったかもしれない。それでも、決して立ち止まることはしない。もがき、苦しみながらも一歩、また一歩と前に進んでいく。
巨人の中山礼都は高卒2年目にして一軍デビュー。いきなり50試合に出場して未来への大きな希望を抱かせた。そこから4年の時間が過ぎ、伝統球団の主力選手へと飛躍が期待された今季だったが、開幕から一、二軍を行き来する日々が続いた。
「これがどういう時間だったかというのは、自分の結果次第だと思う。しっかり結果を出して、いい期間、時間を過ごせたと思えるようにしたい」 「礼都」と書いて、「ライト」と読む。
イチロー、
高橋由伸……。中山が生まれた2002年当時、右翼を守っている選手に一流選手が多くいたことから、将来はそういった選手になってほしいという父・慎也さんの願いが込められ名付けられた。愛知県名古屋にある自宅の1階にはティー打撃ができる“練習場”が設けられ、幼少期から父とともに連日、打撃練習に励んできた。
「4種類くらいですかね。YouTubeとかで見て、プロのコーチがやっていたものを。ティー打撃は本当に小さいころから続けていて、それがミート率の向上につながったと思います」 父が仕事で不在のときには、学校終わりに母とバッティングセンターへ向かうなど、両親の多大なる支えを受けて大きく育った。
高校は父の母校でもある愛知の名門、中京大中京高に進学した。春夏通じて最多11度の甲子園大会優勝を誇る伝統校で強打の遊撃手として、のちに
中日にドラフト1位で入団するエースの
高橋宏斗とともに下級生のときから活躍。19年には明治神宮大会でチームを初優勝に導いた。
恩師の高橋源一郎監督は「(中山は)毎朝、欠かすことなくノックを受け続けていました。下級生のときから試合に出ていたけれど、そうやって上級生も納得させる取り組みがありました。練習を継続して力を付けていった子。野球小僧と言いますか、それが彼の一番の魅力です」と当時を振り返る。
類まれなる才能が昨季、思わぬ形で花開いた。アマチュア時代から内野手一筋。だが・・・
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